ピロティ・ランキング

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東海大学松前会館

設計:山田守 1966 神奈川県平塚市

広大な東海大学湘南キャンパスの中に整然と並ぶ「モダニズム建築群」はいずれも山田守の設計によるものです(他の設計者による新校舎もあります)。

その中でも1号館から4号館までが並ぶキャンパス最北の高台は同キャンパスのシンボルであるだけでなく、山田の代表作群とも言えます。その校舎の並びから南へ一段下がったキャンパスの東端に、植栽に埋もれるようにして松前会館は作られています。

 

 

豊かな自然環境の中で東西に配された長方形平面の西端がピロティとなっていて、ここが玄関です。1階の南に面して食堂、2階が宿泊所となっており、東端には渡り廊下を介する別棟で円形の浴場も作られています。

 

 

 

ピロティを見ると、角柱が支える天井は梁型が消されてスラブを直接支えているように見え、ル・コルビュジエのメゾン・ドミノを思わせます。それでいて柱の外側に非常に薄い片持ちスラブが廻り、2階の縁側のような空間となっています。またその片持ちスラブは庇状にぐるりと建物を取り囲んでいるので、ピロティが延長されているようにも見えます。

 

以前は建物の傍にガーデンチェアが置かれていました。緑に囲まれた穏やかな環境の中でピロティや庇の下に椅子を並べ、宿泊者たちの語り合う時間が流れていたのだと想像できます。

 

 

東京国立近代美術館

設計:谷口吉郎 1969年 東京都千代田区北の丸公園

どんなピロティが良いピロティなんだろう。いや、僕自身はどんなピロティを求めているのだろうか。その一つの解答となり得るのが東京国立近代美術館です。

一見、なんということはない建物だと言ったらお叱りを受けるでしょうか。確かに著名な建築家による著名な近代建築です。ピロティもあるけれど、それは2階のテラスを支えつつ、来館者を迎え入れる機能を備えているに過ぎないように見えます。

 

ところが、そのピロティに足を踏み入れると空気感が変わります。高さの所為なのか、奥行きなのか、見上げた天井のデザインなのか、それとも柱なのか。もちろんそれら全てのハーモニーなのだと言えるでしょう。このピロティに立ち入ったとき、僕はある種の親密さを持ってその空間に迎えられている思いがします。

 

建物に向かって右側、ピロティの東端にささやかな休憩スペースが用意されています。是非ここに腰を下ろしてピロティ越しの風景を味わってみてください。柱のデザインを観察しましょう。頭上で緩やかなアーチを持つ、化粧垂木風のおおらかな天井を視界に入れ、お堀(皇居)や周辺の植栽を借景します。さらに2階テラスへ至る階段の繊細かつ工業的な美しさに目を留めたとき、自分が体験している空間はピロティ史に残る傑作であることに気づくはずです!

この空間体験こそ、僕の「近代建築の楽しみ」だと言えます。(折戸和朔)

 

 

香川県庁舎

設計:丹下健三 1958年 香川県高松市

地上8階の本館と議会議事堂が中庭を囲むようにたつ。

議事堂は、低層だが、ピロティによって浮き上がっている。

丹下の指示で基本設計を言いつけられた神谷宏治と沖種郎はどうすればいいのかまるで手がつけられなかった。すると丹下は3日間家に籠って、出てくると100分の1の平・立・断面図を持ってきた。丹下が最初に図面を書いたのは、後にも先にもこれだけ。

丹下の構想力はずば抜けていた。

設計は、ほぼそのままの形で進められた。

最も大きな特徴は巨大なピロティだった。

折り返している階段がこのピロティの大きさを示している。むしろ、ピロティの大きさを誇示するために階段が作られたと考えたくなる。

椅子にかけている人と比べれば、ピロティの異常な大きさが実感できる。

ピロティが市民に開かれた庁舎を象徴すると丹下はいうが、その大きさのために、あまり居心地のいい場所とは言えないような気がする。

数万人の群衆を対象にした広島の巨大なピロティに引き摺られたのだろうか。

ここに相応しいのは、数人、せいぜい数十人の市民を対象にしたものだったと思われるのだが。

知事の求めに応じて巨大な石が運び込まれたが、中庭も市民の親しみやすい、というより、見せる庭になっていないか。

8階建ての本館は、日本建築のエッセンスを鉄筋コンクリートで表現したと、国際的にも高く評価されているが、丹下の狙いはあくまでも議会棟のピロティとのセットで成り立っている。

確かにずば抜けて写真写りのいい建築〈映える〉建築である。

しかし、このピロティは、建築を社会に開いたか、市民に親しまれる庁舎にする上で役に立っているか。今一度問い直してみたい。(小川 格)

 

鎌倉文華館 鶴丘ミュージアム(旧神奈川県立近代美術館)

設計:坂倉準三 1951年 神奈川県鎌倉市

平面形状は正方形に近いシンプルな四角形です。ドーナツ型とでも呼べるでしょうか、展示室は中央の中庭を取り囲むように配置されています。2階の方が1階よりも一回り大きいため、立面的には直方体が宙に浮かんだように見えます。1階はその直方体を持ち上げるピロティです。

ピロティと書きましたが、柱間には石積みの壁が建てられているため、「柱のみで外部に開放されている」ピロティの定義には当てはまりません。それでもピロティと呼びたくなる理由は、柱が壁に埋まっておらず、言わば「真壁」の意匠と重なっているからでしょうか。

はっきりとピロティとして開放されているのは、南側の庭園に面するテラスです。柱はテラスから望む風景を邪魔しない細い鉄骨のH型鋼で、自然石を基礎として池の中に建てられています。テラスの床と、連続する門型の手すりはプレキャストコンクリートで、背後の壁は石積みです。白く塗られた天井には水面の反射が揺らぎ、自然や時の移ろいを感じます。工業製品と自然素材とが違和感なくまとめ上げられ、回遊式庭園の中でモダニズムの新たな風景を作ったと言えるでしょうか。細やかな、日本建築のような配慮が感じられます。(折戸和朔)

 

広島平和記念資料館

設計:丹下健三 1955年 広島県広島市中区

平和記念資料館が建つこの地は、元安川と本川に挟まれた三角州の最上流部、映画館、喫茶店、商店が軒を並べる、広島を代表する繁華街だった。

高校生の丹下健三は、ここで、映画を見、文学を語り合った青春の聖地だった。東京帝大に進学して、大学院に在学中にここに原爆が投下され、一瞬にして全てが失われた。

戦後、ここに平和記念公園が作られることになって、設計コンペが発表された。丹下は、大学院を卒業して助教授になっていた。

丹下のコンペ案は平和大通りから原爆ドームへ軸線を通し、資料館をゲートとする野心的なもので、文句なく一等賞を獲得した。

資料館は、巨大なピロティによって差し上げられていた。

丹下は、ル・コルビュジエが設計したマルセイユのユニテ・ダビタシオンの巨大なピロティに圧倒され、感動した。広島のピロティには、マルセイユの巨大なピロティが必要だと考えた。ユニテは18階建ての巨大なアパートを支えるための太いピロティだが、丹下は、それを1層しかない広島のピロティに採用した。

丹下によって、平和資料館は、原爆ドームを望む、公園へのゲートとしての役割を与えられた。ピロティはゲートのための手段となった。

ピロティの下には、佇む人も、休む人もいない。そこは、ゲートだから。

ル・コルビュジエの考えたピロティを丹下は大きく変えてしまった。

(竣工直前の資料館1953年、撮影:丹下健三。『芸術新潮』2013.8 より)

丹下の考えていたゲートは何万人という群衆を迎えるためのものだった。そのために巨大なピロティが必要だった。

丹下によって、ピロティは新しい役割を与えられたのだ。

我々は、毎年行われる平和記念式典でこれを確認している。(小川 格)

国立西洋美術館

設計:ル・コルビュジエ 1959年 東京都台東区

国立西洋美術館は、本館と共に前庭も世界文化遺産に登録されています。これは本館と前庭の「関係」にル・コルビュジエの設計思想が強く反映されているからに他なりません。その一つがピロティではないでしょうか。

(『ル・コルビュジエの国立西洋美術館』藤木忠善著、鹿島出版会より)

開館当時のピロティは間口一面であったことはもちろん、奥行きも2スパン(東端のみ3スパン)あり、そこには前庭同様に彫刻作品が配されていたそうです。青空の下(前庭)で鑑賞する彫刻、屋内での絵画鑑賞、そして中間領域であるピロティでの鑑賞。多様な鑑賞空間と豊かな建築空間は近代建築らしい魅力にあふれていたと想像されます。

そのピロティは改修工事毎、徐々に屋内に取り込まれ、現在は元の1/5程度となりました。チケット売場、そして夏の日差しや驟雨を避けて駆け込む人々。空間の抽象性は消え、即物的な機能だけが残った感は否めませんが、それでもまだこのピロティは我々に近代建築の可能性を信じさせてくれています。(折戸和朔)

 

ピロティ・ランキング その狙いと目標

ル・コルビュジエが提唱した「近代建築の5つの原則」の中で最もインパクトのある項目はなんと言っても「ピロティ」だろう。

コルビュジエが早速「スイス学生館」で試みたのがこの写真だ。

 

 

(スイス学生館(1932年)(『Le Corbusier 1929-1934』p.74)より)

 

ぼくはこの写真を初めて見たときの感動を忘れることができない。

1932年にこれができて、まもなく100年になろうとするが、これを超えるピロティを見たことがない。

一体、ピロティは近代建築の中で成功したのだろうか。

多くの試みはあった。しかし、それは、コルビュジエの目指したものにどこまで到達できたのだろうか。

 

そこで、今、これまで作られたピロティを検証してみたくなった。

我々が見てきたピロティは、果たして近代建築として十分機能してきたのだろうか。建築の美しさの観点、建築と社会を結ぶ社会性の観点、人々に愛され、利用されているかという観点も当然検証されなければならない。

 

これから、我々が見てきたピロティをここに集めて、検証してみようと思う。

とりあえず、趣旨に賛成してくれた折戸和朔さんと小川格が、交代で、自分の体験したピロティを写真と短いコメントで、掲載してゆくことにしたい。

 

ゆくゆくは、誰でも参加できる場所にして、全国から集めたいのだが、取り敢えず二人の試みとして開始するので、ご期待いただきたい。(小川 格)

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。