「やあ、待たせてごめんごめん。水車学会の定例会が長引いて。ぼく江武大学の宮武です。」
「わたし、文学部学生の吉田恵美です。よろしくお願いします。」
「こちらが、建築家の東郷さん。忙しいところすみません。ところで、待たしちゃったけど、このあたりの建築見てくれました?ここが銀座四丁目、銀座の中心です。では恵美さん、さっそくですが、このあたりで印象に残った建築がありましたか。」
宮武先生が今日の集合場所に指定したのは、銀座四丁目の三越のエントランス前だった。
「やっぱり正面の和光です。わたし、これが銀座で一番好きな建物なんです。」
「東郷さん、いかがですか。恵美さんの気持ちにフィットしたのは和光だそうですよ。」
「えーっ。なんで和光なんだ?和光って古くさいし、今日は近代建築の話だったんじゃないの?」
「じゃあ、東郷さんのおすすめはどれなんですか?」恵美は怪訝な表情。
「むこうの角にガラスの円筒形のビルが見えるでしょう。三愛ドリームセンターというビルなんだけど、あれこそが、銀座四丁目のシンボルなんだよ。」
「ほんとですか?銀座のシンボルといえば、だれがなんといっても和光じゃないですか。テレビや雑誌の銀座特集といえば必ず和光の写真がでますよ。すごい存 在感があるし、親しみやすいですよ。三愛ビルはなんだかよくわからないわ。このビルのどこがいいんでしょうか?」
「これがまさに近代建築なんだよ。全体が円筒形だろ。幾何学的形態じゃないですか。素材がガラスとステンレス。そして、このビルの作り方が素晴らしい。平 面が円形でしょう。その床を花びらのように八等分して、工場でプレファブのコンクリートで作ってトラックで現場に運び込んで組み立てたんだよ。近代的な材料、近代的な工法、近代的な表現。出来てから50年たつけど、これこそ理想の近代建築なんだよ。」
「そうなんですか。でも銀座のシンボルとしてはちょっとものたりないような気がしますが。」
二人の話を聞いていた宮武先生が間に割って入った。
「東郷さんと恵美さんの感じかたの違いは随分大きいですね。いきなり問題の本質に踏み込んじゃったみたいですよ。じゃあ、三愛の2階にティールームがあるから、お茶をのみながら、問題を整理しましょう。」
3人は三愛1階のDOUTORに入った。ドトールにしては高めの380円のコーヒーをもって二階に上ると交差点に向かって円形の大きなガラス窓が床から天井まで広がっている。3人は湾曲した窓に向かった椅子に座ると、そこからは四丁目の交差点を見下ろす視界が広がった。
宮武先生が話はじめた。
「そもそも建築家の東郷さんに今日ここへ来ていただいたのは、恵美さんが、卒論に近代建築を選んだからなんですよ。恵美さんは実は文学部の学生さんで、本来ぼくの学生じゃないんです。でも、卒論のテーマに「日本人と近代建築、受容と拒絶」という題目を選んじゃったので、指導教官の花山先生がぼくのところへまわしてよこしたんですよ。学部が違うし、本来こんなことはできないんだけど、花山先生は昔から親しくしていただいているし、学部間の交流という意味でも面白いケースかもしれないと思って引き受けたんですよ。
だけど、ぼくは、近代建築の歴史は教えているけど、建築の実務はよくわからないところがあるので、大学で同級だった建築家の東郷さんに応援を頼んだというわけなんです。
問題は恵美さんが、どうも近代建築をよく理解できない。いまひとつ好きになれない、ということなんです。ならば、論文を書く前に東京の建築を見て、その 面白さを直接理解してもらうのが早道だと思ったわけなんです。そういうわけで東郷さんにおつきあいをお願いしたんです。」
「それで、その第一回目が銀座というわけだね。どうせぼくはこのところ仕事がなくて暇だから、おつきあいするのはかまいませんよ。」
「一般人の常識と建築家の常識がかなり違うことは、常々感じてはいましたけど、いま東郷さんと恵美さんのお話をうかがっていて、改めてそのギャップを痛感しましたね。」
すると、さっそく恵美さんが切りだした。
「さっきのお話の続きをお伺いしたいんですが、よろしいですか?和光のどこがいけないんでしょうか?私にはそこがわからないんですけど。」
「ここは、まっ正面に和光がよく見えるなあ。確かに迫力があるよ。でもね、この和光って石造だよ。まるでエジプト、ギリシャ、ルネッサンスって感じじゃないですか。全然近代じゃないんだよね。無駄な装飾がいっぱいついてるし。おれにはとういてい理解不能だなあ。」
「どうして石造はいけないんですか?」
「材料として古すぎるだろう。ぜんぜん近代の産業システムに乗らない。だいたい、重いだけで構造的にすごく不合理なんだよ。この建築の構造はめちゃくちゃ 無理してると思うなあ。分厚い壁の中に鉄骨とセメントをぎっしり詰めこんでる。ひと口でいえば、構造的合理性がないんだ。」
東郷さんたじたじながら、なんとか切り返す。しかし、恵美さんも負けてない。
「私、卒論をこのテーマに決めてから、近代建築の本を何冊か読んでみたんですけど、みんな明治時代から始まっていました。和光は昭和の建築ですから、当然近代建築だと思ったのですが。」
「そうなんですよ。近代建築の定義がはっきりしないんです。講義をしていて、一番悩ましいところなんですよ。」宮武先生が説明した。
「えっ。では、建築史の世界では、和光は近代建築かどうかはっきりしていないということなんですか?」
「そうなんですよ。そこは難しいので、あとで詳しくお話ししましょう。」
「難しいですね。でも折角残っているもの は、大切に保存してほしいなあ。ところで先生、近代建築でシンボルになるようなものをつくるのはむつかしいのですか?」
「そこがまた、悩ましいところなんですよ。でも、銀座には他にも面白い例があるから、これから見にいきましょうか。」
宮武先生の提案で3人は店を出ると、数寄屋橋へ向かった。奇をてらったビルが林立する中を通り過ぎて3人は数寄屋橋交差点の一角に立った。正面にソニービルが見える。
「数寄屋橋交差点のシンボルはこのソニービルなんだけど、どうですか。」
「これはどこがいいのですか。」恵美ちゃんはきょとんとしている。
「以前はずいぶん話題を提供したんだよね。僕らには懐かしい建築だけど、しかし最近はあまり話題にならないねえ。」
「これはビル全体がソニーのショールームで、建築自体も面白いけど、シンボルとして見たときには、コーナー部分が切り取られて、いろんなイベントをやっていたのが話題になったんですよ。」
「コーナーの小さい広場がポイントなんですか。」
「これを設計したのは、芦原義信という建築家なんですが、『街並みの美学』という本を書いて話題になった人なんです。私的な企業が街に広場を開放した所に大きな意味があったのかもしれませんね。」
「そうですか。美しい街のためにビルが身を削って貢献したんですね。ところで、建築自体も面白い、とさっきおっしゃいましたけど、それはどういう意味ですか。」
「どの階も床を四分割して少しずつづらしてあがる、下から上まで連続したショールームになっているというわけです。」
「それってスキップフロアですか。」
「そうです。それをビル全体に徹底してやったわけ。エレベーターで最上階まで行けば、あとは順にショウルームを見ながら知らず知らずに下まで降りてしまう仕組みなんだ。」
「わーっ。それって、会津のサザエ堂みたい!」
「恵美さん、よく気がつきましたね。そのとおりなんです。江戸時代の空間の作り方が応用されているといってもいいですね。」
「建築全体が内も外も、両方とも都市の市民に対して開かれている。近代建築の理想の姿かもしれないなあ。」
「外観は地味ですけど、中は大胆なんですね。」
「ただし、現代のバリアフリーには、対応できないね。そこがつらいところだ。」
「では、もう一つ面白い建築を見てみましょうか」
並木通りを進むと、三人は7丁目、8丁目とバーがびっしり入った異様な雰囲気のビル街を通り抜ける。恵美さんは好奇心一杯できょろきょろしている。
「華やかな銀座通りのすぐ裏手にこんな夜の街があったんですね。おどろきました。」
「そうですね。このあたりは江戸時代から続いている料亭など水商売の街なんですね。」
三人が着いたところは新橋の手前、土橋のそば。静岡新聞東京支社のビルの前であった。
「わーっ。面白いビル。私はじめて見ました。」
「ここは、新橋のそば、京橋から始まった銀座が終わるところなんですよ。」
「高速道路を走ってきて、これが見えるとやっと東京に着いたぞって安心する道標のような建築なんだ。」
「そういえば道しるべの形に見えるわ。」
「太い円柱の幹があって、そこから枝のように部屋が突き出している。この幹の中にエレベーター、階段、電気、上下水などインフラが通っていて、そこから、個別の部屋が突き出している。とっても明快なシステムになっているんだ。」
「そのインフラはどのビルにもあるものなんですか?」
「あるけどどこにあるのか普通は見えない。このビルは設備のインフラが構造と一体になって、はっきりと自己主張しているんだ。」
「わかりやすい建築ですね。これは特殊な場所だからできたのですか。」
「じつはこのシステムを適用した大きなビルがあるんだよ。甲府の駅前にある山梨文化会館なんだ。丹下健三の野心的な作品なんだ。銀座のこのビルは甲府にあるそのビルの一部を切り取ってもってきたような形になっているんだ。」
「小さいのにすごい迫力がありますね。たしかにシンボルというかモニュメントとして見事ですね。」
「設備とか構造とか昔は裏側に隠したものが自己主張して、ここではそれが主役のようになっている。近代建築のひとつの主張だね。」
恵美さんは写真を撮りながらさかんに感心している。
「のど乾いたからビールのもうよ。」東郷さんはもう我慢できない。7丁目まで戻ってライオンビアホールに入る。東郷さんがおごるつもりらしい。
「わあっ。洞窟みたい!!」恵美さんがすっとんきょうな声をあげた。
「帝国ホテルを設計したライトの下で働いた菅原栄蔵という建築家が設計したものなんだ。昔の帝国ホテルと似た雰囲気があるんだ。」
「ここもすきだなあ!」恵美さんがすっかり感心している。
ビールを一口飲み干すと宮武先生が話はじめた。
「今日はご苦労さまでした。いきなり近代建築の本質論に入っちゃったんでびっくりしました。恵美さんから近代建築の定義のお話が出たので、お話しましょう。実は近代建築ということばがやっかいなんです。歴史上いつから近代建築と呼ぶか、人に よって全く違うんですよ。ある人はバロックからだというし。ある人はアールヌーボーから、またある人はコルビュジエの白い豆腐のような建築が出現してから だと、まったく決着がついていないんです。日本でも明治維新からあとの洋風建築から近代建築に入れる人もいるし、バウハウスやコルビュジエの影響をうけた 白い建築からだという人もいる。近代建築の定義が混沌としているんです。さっきも東郷さんが和光は近代建築じゃない、なんて言ってました。
そこへモダニズムという便利な言葉が現れた。これは過去の様式主義と縁を切ってコンクリートと鉄とガラスといった近代の材料と技術を使った白い幾何学的な建築というはっきりとしたイメージを共有できるというわけです。時代的にも1920年ころからはじまると定義されています。
だから、最近はモダニズムという言葉がはやっているんですよ。」
「では、今日見た建築では、三愛とソニーはモダニズム、和光はモダニズムではないけど、近代建築かどうかはグレイ。これでいいですか。」
「今日はそういうことにしておきましょう。」
「ソニーという会社はよく知られていますが、和光と三愛はちょっとなじみがないんですけど。」
「そうだね。和光は昔は服部時計店といっていたんです。今の時計のセイコーの親会社です。もともと銀座の夜店として成功して、世界的な大企業にまでなった、まさに銀座のシンボルにふさわしい企業なんです。」
「それはすごいですね。そういえば、屋上に立派な時計台がありました。では、三愛はどういう会社でしょうか」
「若い人にはなじみがないかもしれないけど、コピーのリコーなら知ってるでしょう。その創業者の市村清という人が唱えたのが三愛主義という言葉なんです。」
「リコーのデジカメもわすれちゃいけない。リコーGR4というカメラがすごい。コンパクトカメラなんだけど、レンズが1.9と明るくて細部まで描写力がすごい、収差がないから垂直と水平が完璧にでる。だから、建築家はこのカメラが欲しくなるんだ。」
「ふーん、三愛を見直したわ。あのビルを設計したのはどんな人なんですか。」
「日建設計という日本最大の設計事務所なんだけど、実はその中の林昌二という人が若いときにやったものなんだ。大きな組織になると無難なものを作るだけの会社に成りがちなんだけど、林さんはその組織を使って、じつに個性的な作品をつくり続けた人なんだ。そのために組織全体がそういう体質に変わった。」
「今日は銀座のシンボルともいうべき建築をいくつか見てきたけど、近代建築の本質に関わる重要な問題にぶつかりましたね。きょうはこのへんで終わりにしましょう。」
「今日はいろんな建築を見せていただいてほんとに勉強になりました。近代建築が少し身近になりました。ありがとうございました。」