1884年フランスはベトナムを植民地とする。明治20年ころだ。
このパリのオペラ座のような豪華な建築ができたのは、それから25年ほどたった明治時代最後の年、奇しくも日本に帝国劇場ができた年である。ナポレオン3世はハノイを第二のパリにしようとして街路を整備し、次々にこのような建築を作っていたのである。
この古代の王様の墓のようなものが1932年とはどういうこと??
なんと、グエン朝第12代皇帝カイディン帝の廟墓、日本でいえば昭和7年。
そんな時代にこの古代遺跡のようなカイディン帝廟ができたのであった。
そのころ、ベトナムはフランスに支配され、都市はナポレオン3世の手によってつぎつぎにパリのような華やかな建築で彩られていた。
ベトナムは古代と近代が同時に平行して進行していたのだ。
レンガ造だが、紛れもないゴシック様式。フランス直輸入だ。
ベトナムに上陸した宣教師の最も大きな仕事は、ベトナムにアルファベットを与えたことである。それまで、ベトナムでは中国が与えた漢字が使われていた。アルファベットは漢字よりはるかに簡単だったため、瞬く間に普及していった。
いまでは、漢字は地名や氏名に残っているのだが、漢字を読めるのは僧侶などごく一部の知識人だけらしい。そういえば、開高健の「ベトナム戦記」には、お坊さんと漢文で筆談するシーンが出てくる。
街の看板はすべて、アルファベットによるもの。英語も混じっているが、フランス語は見かけない。
フランスは文字を与え、都市を作り、建築を残したが、市民はフランスよりアメリカに親近感をもっている。アメリカはあれほど残酷で非道な戦争を一方的に仕掛けたにも関わらず、なぜか親近感をもたれている。
それだけ、フランスの80年におよぶ支配は過酷だったということかもしれない。
グエン王朝は、1802年から1945年まで約150年続いたが、その多くはフランス植民地時代とだぶる。
フランスとグエン王朝、近代のベトナムはこの二重の過酷な支配に苦しんでいたのである。
ほとんどの国民が農民であったが、その暮らしは古代と変わらない貧困なものであった。
なんとも不思議な建築。瓦屋根は中国建築の影響、三つのアーチはフランス凱旋門の影響か。これこそベトナム建築である。
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