ついにやってきました。モダニズムの傑作バルセロナ・パビリオン。
それは、拍子抜けするほど、あっさりと広場に面して建っていた。
これが、世界のモダニズム建築の三大聖地の一つ。ル・コルビュジエの「サヴォア邸」、ライトの「落水荘」、そしてこの「バルセロナ・パビリオン」。
地面から1.5メートルほどの高さ、目の粗い大理石トラバーチンの基壇の上であった。
ミース・ファン・デル・ローエといえば、世界の高層ビル、鉄とガラスの無機質なオフィス・ビルのお手本を作り上げた建築家。つまり現代の都市の風景を作った男だが…。
トラバーチンを敷き詰めた広場。浅い水深の池。その背後と横を囲むトラバーチンの壁。そしてやはりトラバーチンのベンチ。
単純、シンプル、抽象的、幾何学的そして、静寂……。
浅い池の底には玉石が敷き詰めてある。右奥の庇はミュージアム・ショップ。壁が風景を切り取る。まるで、龍安寺の石庭のようだ。
ここに、ミースの初心が凝縮して結晶している。
振り返ってパビリオンを見る。石の壁と細い鉄の柱。壁の上に乗る一枚の板。きわめて単純な構成だ。
パビリオンに入ると、いきなり赤い縞瑪瑙(オニキス)の壁。ものすごい存在感だ。
この建築、じつは1929年のバルセロナ万国博覧会のために作られた、あくまでも仮設の建物だったため、博覧会ののち取り壊されている。いま建っているのは二代目、したがってこの石もオリジナルではない。
瑪瑙石の圧倒的な存在感。この壁があくまでもパビリオンの中心だ。これを立てるために作られたような空間だ。白いバルセロナ・チェア。このパビリオンのために設計された椅子だ。
帰ってきて確かめるとなんとバルセロナ・チェアが撮れていない。赤い壁に注意を奪われて、椅子がこれだけしか写っていない!
しかたがないので、これだけパンフレットから転載させていただく。これがバルセロナ・チェアだ。流れるように湾曲したX形の骨。白い皮のクッション。
フィリップ・ジョンソンは「当代のデザインの最高のものであり、…私はこれまでの27年間、これ以上の椅子を見つけることができませんでした。」と絶賛している。
私の目の高さがこの石壁のちょうど中間の継ぎ目にきている。私の目の高さは1メートル57センチだから、この石壁の高さは3メートル14センチである。
壁の厚さは約20センチ。
正面は半透明のガラスの壁。このガラスは背後のトップライトからの光線でうっすらと明るい。夜はこの壁が光るのだろうか。ほかに一切照明器具はない。
そういえば、この建築にはトイレもキッチンもない。もとは入口のドアさえなかったようだ。いわば東屋(あずまや)のような建築だ。
屋根を支えているのは、十文字の断面をもつ、クロームメッキされた鉄骨の柱。石の壁に比べてなんとも華奢な柱。
広場に面した左のガラス窓、明かり壁、石壁、全て床から天井まで一枚、なにも遮るものはない。入口の向こうに池が見える。
青い瑪瑙石の壁に囲われた中庭の池と彫刻。室内と中庭の間には色付きのガラスのスクリーンはあるが、ドアはない。
内のような外のような、連続した空間。
青い瑪瑙石の壁は3段に目地が入っている。
瑪瑙の縞模様は反転を繰り返してロールシャッハテストのような左右対称の文様を見せている。
抽象的で幾何学的な空間のなかで、石の縞模様だけが、気まぐれな天然の有機的な造形を見せている。
石目の文様の反転は、池に写った壁にも現れる。
そして、決定的に重要なのが裸婦像である。抽象的な空間のなかの具象の彫刻。幾何学のなかの肉体。不思議なポーズ。
近代建築の中に彫刻を置くスタイルがここで確立した。
ミースはハンブルクの石材商を訪ねて、自分でこれらの石材を選んだといわれている。なぜ、ここにこんな個性的な石を選んだのか。
ミースの建築は、普通は工業生産物である、鉄とガラスが基本であり、装飾的な要素は徹底して排除されている。
なぜ、ここだけ、こんな装飾的な石が選ばれたのだろうか。
じつは、ミースは建築の教育を受けていない。その代わりに、父親が石工の職人頭であったため、子どもの時から石切り場に出入りして石については誰よりも豊富な知識を持っていたのである。このパビリオンで石への思い入れが炸裂したのだ。
ミュージアム・ショップの前から庭の壁とベンチを見る。すべてトラバーチンの横縞が支配している。博覧会の式典の日、こにに着座したのは、各国の貴賓たちだったのだろうか。
壁が軒を支えているような、いないような、微妙な関係。一枚の壁が晴れがましい表と裏を演出している。
壁を中心にして立つと長い大きな壁が消えてパビリオンが別の姿を見せる。こちらと向こうの屋根の水平線が際立つ。
トラバーチンだけで出来たベンチ。
十文字の柱の足元。床の敷石の交点に食い込んでいた。
青い壁の足元。トラバーチンの床石の上に置かれている。
トラバーチンの壁の足元。
屋根スラブの上に小さなトップライトが見える。光壁に光を取り込む装置である。
全体をよく観察するため、航空写真もパンフレットから転載させていただく。
きわめて単純な、建築というよりは、モニュメントという方がふさわしいような作品。
ミース・ファン・デル・ローエの初心が凝縮して結晶している。モダニズムへ立ち向かうミースの強い決意がここに刻印されている。
しかし、ガウディが多くの作品を残し、高い評価を得ているバルセロナに、対極ともいえるミースが乗り込む決意はなみなみならぬものがあったに違いない。ミースがガウディを意識しなかったはずはない。
バルセロナ・パビリオンができたのは、ガウディが路面電車に轢かれて74歳で亡くなった3年後のことである。
その時、ミースは油ののりきった43歳。
アール・ヌーボーからモダニズムへ、時代の転換を告げる宣言のような作品だったのだ。
今日でも、両人の作品は、絶妙な対比を見せて、バルセロナの街を一段と魅力あるものとしている。
ガウディの建築の前には世界中から来た観光客が列をなしているが、ミースを見に来るのはわずかな建築家のみ。100年続いたモダニズムにかげりが見えているためだろうか。
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横超 慶太 (木曜日, 15 8月 2019 01:48)
近代建築を勉強していて、この記事にたどり着きました。ミースのことはこれを読んだ知識しかありませんでしたが、バルセロナで見てみて「これが近代建築の3大傑作となり、影響を与えたこと」に感銘を受けました。ル・コルビュジエは5原則をつくり、ライトは有機的な思想を元に建築を進めてきましたが、ミースはこのパビリオンのみで近代建築(物質的な観点において)というものを適切にそして端的に表現してると感じました。ありがとうございます