海上から望む。弥山(みせん)を背に大鳥居が迎えてくれる。
引き潮のため、大鳥居は砂浜の上。
夕陽にうかぶ大鳥居のシルエット
近づくとさすがに大きい。鳥居は地中に埋まっているわけではなく、置かれているだけらしい。
主柱には少し曲がりくねった楠の巨木が使われている。
足元の2メートルほどまで水没の跡がある。
正面から神社を望む
翌日の午前中、次第に汐が満ちてきた。
昼ごろには潮位は最高に達し、鳥居は2メートルほど水没していた。
水に浮いた社殿と回廊。
平安時代の神殿造りの形式を想像させる伸びやかな作り。
厳島神社は柱の建築である。朱塗りの円柱が限りもなく林立している。これほど柱が主役を勤めている建築は世界中にない。世界に類例のない異色の建築である。
厳島神社は水上建築である。海水がひたひたと満ちてくると、社殿全体が水没する。アジアの水上生活者の住居によく似ている。これだけ大規模な社殿が水上に建設されている例はないだろう。世界に例のない水上建築である。
徹底した朱塗りに驚いた。これだけ徹底した朱塗りの建築は他にないだろう。
再び大鳥居が見えてきた。
厳島神社は回廊の建築である。回廊を入り、回廊を巡り、回廊を出て行く。始めから終わりまで、すべて回廊である。全長275メートルの回廊を移動する、それが厳島神社を参拝するという行為の全てである。
千木も鰹木もない、ゆるい勾配の、やさしい桧皮葺の屋根。
大鳥居の建つ絶妙な位置。
交差する軒の間から見える五重塔。そり上がった庇が目を引く。
海水が出入りし、風が通り抜ける。床下は水で満たされる。水位がさらに上昇すると、床板も水没するように床板の目が透けている。自然と一体化した、というか、自然に身を任せた建築。日本建築のひとつの典型がここにある。
自然の脅威から身を守るのが建築の本来の目的とするなら、何の役割も果たしていないこの建造物はいったい何であろうか。逆らわず、自然とともに生きる。そのいさぎよさが、この建築の美しさの根源かもしれない。
創建依頼1400年、この形式の社殿の完成以来1000年。平清盛、毛利元就、豊臣秀吉、福島正則など、時の権力者に愛され、帰依されてきた社殿。にもかかわらず、華美に走ることなく、衰退もせず、原型が維持されてきたのは奇跡的である。
水はひたひたと押し寄せ、見る間に床下は水に浸された。
海水に浸されたとき、この社殿は最高の美しさを発揮する。まさに水の建築であった。
本殿は回廊の奥に静かに佇む。
汐の干満とともに毎日呼吸するようにその表情を変える、世界に例のない特異な水上建築であった。
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現代建築がどんどん箱形に、閉鎖的に、気密性を追求し、そして機械の力で快適さを追求しているのに対して、この建築は、どこまでも伸びやかに、開放的に、そして自然のなかで呼吸しているような姿を見せてくれる。
1000年のいのちを保ち、今なお世界中から注目されているのはいったいなぜだろうか。
現代の日本人が耳を傾けなければならない重要なメッセージが、そこには隠されているのではないだろうか。
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