ドイツを歩く—6:ミュンヘン(常軌を逸した建築道楽)

全世界の女性の心をとりこにしている「森の中の白いお城」。バイエルン王国第4代国王ルートビッヒ2世が築いたノイシュバンシュタイン城。

この王様、18歳で即位してから42歳で没するまで生涯独身。人嫌いで、外出は人目を避けて夜だけ。政務を投げ出してひたすら城造りにはげんだ。

お城が出来たのは1886年、なんと明治19年、お城など必要のない時代だった。

世界中が近代化に邁進していたこの時代、王様はいったい何を考えてこんな時代遅れのお城を作っていたんだろう。

「狂王」として、次第に側近からも疎んじられた王は、精神病者として拘束されると、ある晩散歩に出たまま帰らなかった。翌日、湖で水死体として発見された。42歳であった。

その城が、いま全世界から観光客を集めて、お金を稼いでいる。なにしろドイツの観光地で人気ナンバーワンなのだ。なんという歴史の皮肉。

ただし、歴史的な必然性のない個人の趣味的な建造物なので、世界遺産にはなっていない。

お城の中は撮影禁止のため、写真は出せないが、城の窓からの風景はすばらしい。ところでその室内は?

それが、なんとこのお城、女王様の部屋も、お姫様の部屋もない。金器、銀器のたぐいもない。部屋は豪華とはいっても、すべて、独身王の唯一の趣味、中世騎士物語の世界で埋め尽くされている。怪獣と戦う騎士、白鳥、猛獣等々。女性のあこがれる優雅な宮廷生活の面影はどこにもない。女性の観光客の期待はたちまち失望に変わるかもしれない。

一方、変わってミュンヘンの中心にあるレジデンツ。

バイエルン王国の王宮。こちらは本物の超豪華な宮殿。14世紀から500年間に渡って造り続けた巨大な宮殿。この部屋を初めとして、豪華絢爛たる部屋が数百、これでもか、これでもかと連なっている。ここには女王の部屋、王女の部屋と豪華絢爛そのもの。その富の集積にはだれもが驚嘆することでしょう。

ミュンヘンで見逃せないのが、街中の小さな教会。偏執狂的な建築家アザム兄弟が自分たちのために造った教会。自分の好きなように思う存分手をかけた建築だ。

庇や屋根にバロック建築特有の曲線と反曲線が、これでもか、とばかりに繰り返し使われている。

エントランスの庇はなにやら日本の唐破風のようだ。

庇の裏側も隙間なく装飾で埋め尽くされている。

玄関ホールの天井。楕円形の平坦な天井。ここでは、平坦さが異常な緊張感を孕んでいる。そこには地図のような不思議な図柄が描かれている。

天井の中心には太陽とさんさんと降り注ぐ光線が金のつぶつぶで描かれている。

ゲートの鉄門を通して装飾に充ちた室内が見えてくる。

祭壇上部の十字架のキリスト像、ステンドグラス、ねじりん棒の柱、湾曲するバルコニーなどが目に入ってくる。躍動する形と色彩の乱舞。バロックの極地。

なおも目を凝らして見つめると、金色の十字架に架けられたキリストと彼を助ける天使たちが銀色の肉体に金色の衣装をつけていることがわかる。

室内の全体は押さえた色彩ながら、色彩が横溢し、うねる局面で壁から天井まで全面が覆われている。目を休める場所がどこにもない。

バルコニーの手摺に架けた布もなにか硬質な素材で出来ており、柔らかな表現と硬い素材感のギャップが目を楽しませてくれる。

半月状の窓にはガラスの代わりに鏡が、そのカーテンにも布の代わりに硬い素材、と二重三重に目の常識は裏切られる。

玄関ホールの告解室の天使はニヒルな表情であらぬ方を見つめている。

その上には黄金の骸骨が何を切ろうとしているのか、ハサミを振りかざして威嚇しているようだ。

告解室は極めて緻密な技巧をこらした木造だ。その質感は周りを埋め尽くす大理石に決して負けていない。

外にでると玄関の両側は大きな岩が押さえていた。


ノイシュバンシュタイン城、レジデンツ、聖ヨハン・ネポムーク教会と、建築道楽のかぎりをつくした建築を見てきた。どれも面白いが、常軌を逸している。

南ドイツ、バイエルン王国、ミュンヘンはどこか人を狂気に導くものがあるのだろうか。この狂気、一歩間違えば恐ろしい。そういえば、ヒットラーが旗揚げしたのも、ここミュンヘンであった。

われわれがミュンヘンに着いた日は、ちょうど世界中のビール好きが集まるオクトーバーフェストのお祭り騒ぎが終わったあとだった。

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。