京都国立博物館・平成知新館を見る

博物館の南側、三十三間堂の向かいに新しい入口南門が作られた。

ここから、新しい平成知新館へ向かってまっすぐに南北軸が設定された。

南門は、水平、垂直の要素(基壇、壁、屋根)が分離しながら組み合わされて、非常に幾何学的な、まるで、デ・ステイルのような造形作品になっている。

門を入ると平成知新館へ向かってまっすぐなアプローチが伸びている。

シンプルな幾何学的形態。モダニズムの神髄を見る。

強い軸線を設定しながら、中心をずらしている。師の丹下健三ゆずりの軸線好みが見られるものの、中心をずらしているところにモダンな感覚が見える。

ここで、私はなぜかフィリップ・ジョンソンを思い出してしまう。

ジョンソンは自邸グラスハウスに45度の角度で道をつけている。

「けっして建物に真正面からアプローチしてはならない」と書き、さらに、

「斜かいにアプローチするとパースペクティブの効果によって建物の奥行きが感じられるのである。」とその理由を説明している。

たしかに、この真っすぐのアプローチは博物館への来館者にはきつ過ぎる。

石の壁の前に薄い庇、細い柱、そして障子のようなガラスの窓。モダンでありながら、日本の感性を表現している。

上野の法隆寺宝物館とそっくりではないか。

南面しているため、ほとんどの壁面はガラスであるが、半透明の素材で遮蔽されている。正に障子そのものだ。

雪見障子のような低い透明ガラスの窓。

水平線と垂直線。その手前に自然石の石垣。かつての方広寺の石積みの痕跡を再現したものだという。自然の石が、人工的な固い線といい対比を示している。

メインエントランスはシンプルで、美しい。しかし、全体のヴォリュームに対して、いかにも小さい。モダニズムにはエントランスを明示する手法がない。モダニズムの建築で美しいエントランスを見たことがない。

前面には浅い池。映り込みが美しい。これも法隆寺宝物館と同じ手法だ。

この敷地はかつて豊臣秀吉が建てた方広寺のあったところらしい。工事中にその南門の柱の跡が出土したためその位置にリングが埋め込まれている。

池はガラスの前のみテラスのようになっている。

おお、遠くに京都駅前の京都タワーが見えるではないか。やっぱり京都は高い建物が少ないので、遠くまでよく見えるんだなあ。

池に沿ったグランドロビー。普段はほとんど使われていないようだが、イベント、特別展示など、面白い使い方ができるかもしれない。

庭園に余裕があるため、ガラス窓からの眺望も美しい。

エントランス・ホールは広々としている。3階までの吹き抜け。

この博物館の特徴は1、2、3階の展示室がスキップフロアになって、互いに他の部屋の展示がちらちら見えるようになっていること。

このため、2階の書の展示を見ながら、1階の仏像の展示が透けて見えるので、心の準備ができる。これはかつてない試みだ。

2階への階段と2階の床を支える円柱。全体がオープンなため、自分がどこにいるのか把握しやすい。

普通の博物館は、自分がどこにいるのかまったくわからない。

エントランス・ロビーの空間。その一角にささやかなミュージアム・ショップ。

縦長の細い窓割りは、法隆寺宝物館から受け継がれており、一目で谷口吉生のデザインと分かる。父親の谷口吉郎が秩父セメントなどで展開したデザインから引き継がれたデザインだ。

このプロポーションがなぜか、日本を感じさせる。モダンでありながら日本というデザイン。谷口親子二代で築き上げたデザインだ。

展示室は左側の石壁の中にしっかりと閉じ込められている。従来、博物館といえば、暗く湿った雰囲気だったのに対し、ここの明るい印象は際立っている。これにより平成知新館は明るい博物館として記憶に残るに違いない。

細いピロティの間から、片山東熊の設計した本館(明治古都館)が見える。軒線を揃えたというだけに、旧館への敬意が十分表現されていると思う。

そういえば、上野でも目の前に片山東熊の設計になる表慶館があったではないか。なんという偶然、いや、だからこそ谷口が選ばれたのかもしれない。

東の門は旧館への真っすぐな軸線になっている。

新しい南門ができて、直交する軸線ができたわけだ。

宮殿建築の名手といわれた片山東熊の設計になる本館(1895=明治28)は穏やかなたたずまいが快い。

フレンチ・ルネッサンス様式といわれるデザインは、気品のある、穏やかな表情で静かに佇んでいる。力を誇示するところがない。

片山東熊は明治12年に東京大学を卒業したが、同級生の辰野金吾が設計した東京駅と比較するとその違いが一目瞭然。こちらは文化的な香りがある。

上野の東京国立博物館と比較してみると、上野が何かと政治的な論争の的になるのに対し、京都は静かで落ち着いたのどかな作品に恵まれた。京都博物館には昭和の建築がないからだろうか。

もう一度、南門へ戻ってみる。どうも気になる。そうだ、どこかで見たことがある。デジャヴというのだろうか。近代建築の巨匠ミール・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パビリオン(1929)にそっくりなのだ。近代建築の黎明期の傑作が京都に舞い降りたようだ。しかもさらに洗練され磨き上げられてここにある。

それは、建築というより、小さな門にすぎない。いや、一編の詩のようだ。谷口はミース・ファン・デル・ローエに対するオマージュをここで捧げたのである。

博物館自体も美しいが、この南門こそ珠玉のような作品と言えよう。

 

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コメント: 1
  • #1

    滝澤 哲也 (月曜日, 05 1月 2015 20:46)

    凄いですね!格さん!(誤字送信し直し・・・すいません)
                     

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。