川端康成が書いた『古都』。京都の山村に広がる美しい北山杉の里。何度も映画になり、TVドラマにもたびたび取り上げられ、そのたびに岩下志麻、吉永小百合など時代の美女が脚光をあびてきた。
昨年12月、京都で時間ができたので、突然思い立って、そんな北山杉の里を訪ねてみようと思った。
だが、意外なことに、ガイドブックには北山杉の里は出ていなかった。街中の古いそばやのおやじに聞いてみたが、「うーん、車ならいけるけど…」さらに「周山街道をいけばいいんだけど」というだけ。タクシーに乗って運ちゃんに聞いてみたが、全く知らないという。カーナビに入力してみるが、わからないという。
しかし、さきほどのそばやのおやじの言葉を手がかりに、バス路線を探し、周山行きのバスに乗ってみる。
運転手に「北山杉のあるところへ行きたい」というと「えーっ」と言ってしばらく考えて「中川というところだけど、今はもう何もないなあ」「じゃあ、中川学校前で降りて、バス停を三つ戻って、菩提道というバス停で帰りのバスに乗ってください。そのあたりが中川という村の中心だよ。」さらに「帰りのバスは1時間に1本しかないから、時刻表をしっかり見てから歩き出してね」と親切に教えてくれた。
京都市街から40分ほど乗って、中川学校前で降りると、そこは、たしかに杉林の多い山の中の山村だった。清滝川という川に沿った道が1本通っているだけ。静かな山村だが、人の姿がなかった。
大きな材木商の店はあるのだが。なにか様子がへんだ。
昔は栄えたであろう、材木商の店、倉庫は雨戸をたて、静まり返っていた。
べんがら塗の赤い塀がひときわ目についた。
訪ねたのは12月初旬の平日であったが、どこも閉まっていた。
対岸に大きな問屋の倉庫らしいひとかたまりの家がでてきた。このあたりが作業場、倉庫の中心のような気配がある。
対岸には、吹きざらしの大きな作業場らしき建物が続く。開けっ放しの二階が特徴だ。ここに材木が干してあったのだろうか?
建物の後ろには美しい杉の林。枝のない真っすぐな幹がみごとだ。
『古都』には「清滝川の岸に、急な山が迫ってくる。やがて美しい杉林がながめられる。じつに真直ぐにそろって立った杉で、人の心こめた手入れが一目でわかる。銘木の北山丸太は、この村でしかできない。」と書かれている。
しかし、石垣も美しく、活気にみちたころの面影が想像を誘う。小説の中では、草の下がりをしていた娘達が杉山から降りてくるのだが、いまでは人の気配がまったくない。
建物もしっかりしており、後ろの杉林も美しい。
『古都』では、「丸太は軒端近くに、きちんと一列に、立てならべてある。二階にも、立てならべてある。」とその様子を描写している。
しかし、材木は見当たらず、人影もない。川端康成や映画の監督たちのイメージをかき立てた働く人々の活気ある風景はない。
さらに歩いてゆくと、あっ、ついに材木のある家が見えてきたぞ。
あったぞ。一階にも二階にも材木が並んでいる。「北山銘木協同組合」と書かれた看板がかかっている。川端康成が見た風景はこれだったのだ。当時はここだけでなく、どの家にもこんな材木がならんでいたにちがいない。
どの材木も、長さも太さも均一で真直ぐだ。これが銘木北山杉だったのだ。
なんと、ここには三階まで並んでいるぞ。
肌は美しく輝いている。これが北山杉なんだ。
なんとも不思議な建物だなあ。杉の銘木を乾燥させることだけが目的の家。杉屋敷とでも言いたくなる。
近寄ってみると、しわのある丸太がある。いわゆる「絞り丸太」だ。ちょうど出て来たおやじさんに聞くと、たまに天然の絞りがあるが、ほとんどは伐採の2〜3年前に割り箸を縛り付けて人工的に絞りをつけているそうだ。
その用途は、和風建築、それも茶室などの数寄屋建築の床柱に限られている。
友人の建築家に聞くと、2〜30年前に一度必要があって値段を調べたら、一番安いので100万円と言われて、あきらめたという。
この建物には「北山杉の御食事処は北山グリーンガーデン」と書かれた看板がかかっているが、ほとんど消えかけている。ここが昔はショウルームとレストランになっていたらしい。多くの人が出入りしていたに違いない。
その友人によると、いまでは、床柱を使う家はめったに建たない。いまの家には床の間がないから、床柱は必要ない、いまの大工は使い方も知らないという。
いま数寄屋の和風建築を建てるのは、よっぽど金持ちの風流人だが、そんな人はほとんどいない、ということだ。
裏山に入ってみる。下から上まで枝もなく、ほとんど同じ太さで真直ぐに立っている。よっぽど丁寧に監理されているに違いない。
もう復活することはないのだろうか。
ここには、いままさに消え去ろうとする、日本の文化遺産がある。
北向きの急な斜面が、見事に生かされている。何代にもわたる工夫と努力の成果にちがいない。
美しい森だ。
振り向くと中川の集落が見えた。静まり返った端正なたたずまい。人影はない。
こんなに手の込んだ蔵もあった。
菩提道、ここで1時間に1本のバスを待つ。
川に張り出した菩提道のバス停は、ガードレールで塞がれていた。北山杉の現状を象徴するような風景だ。
しかし、道でであったおばあちゃんは、先月、名古屋からこの村を見にきた団体があった、と話してくれた。
「北山杉ウォーキング」。京都に行ったついでに、ぜひ足を伸ばしてみませんか?
帰宅して、まもなく、東京書籍から『吉田五十八自邸/吉田五十八』という本が出たことを知った。その著者はなんとコルビュジエの研究者として知られてい る富永譲。なんとも不思議な取り合わせだ。購入してみると、吉田五十八自邸の美しい写真がたっぷり入っている。和風建築の名人、吉田五十八の自邸だが、そこには、杉の磨き丸太がじつに美しく使わ れている。改めて和風建築の写真にしげしげと見入ってしまった。
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圭 (木曜日, 08 1月 2015 17:19)
もうひとり忘れていませんか。古都は百恵ちゃんもやりました。映画はしっかり覚えております。山から娘さんたちが降りてくるシーンもありましたよ。楽しい旅が伝わってきました。この本私もかってみようかな。絞り丸太らしき柱がみえますね。絞り丸太なんて名前も知らなかったですよ。
gayohshi (木曜日, 22 1月 2015 10:40)
「北山杉の里を見に行く」を拝読しました。京都で時間が出来た時、東山辺りをぶらぶらするのがよくあるパターンですが、周山街道の奥に北山杉を見に行かれたとはびっくりです。杉林の中まで入って垂直に伸びた林を目の当たりにしたのには、さらにびっくり。50年も前、4年間大学生活を京都で過ごしながら杉林の中に入ったことはありません。帰ってからの吉田五十八研究にも敬服します。