JR丸亀駅を降りると、目の前にそれは突然表れた。
駅下車1分。これほど立地に恵まれた美術館はない。ウーン、上野の西洋美術館といい勝負かもしれない。
この鋭い幾何学的な形態。広場に向かった巨大な開口部。
駅前広場に向かった開放的なつくり。
地理的条件を生かした、独創的なデザイン。
前面の極めて開放的な、大きな開口部は、ゲートプラザの背景となり、舞台ともなっている。祭りの日を見てみたい。
猪熊弦一郎による壁画「創造の広場」
子どもにも受け入れやすい作品かもしれない。
猪熊弦一郎、丸亀出身の画家。
1902〜1993、享年90歳
1938(昭和13)年、フランス遊学に向かい、マチスに弟子入り。
戦後、1955〜75、ニューヨークにアトリエを開き製作に専念。
帰国後、作品1000点を丸亀市に寄贈。
没後、全作品を丸亀市に寄贈。
三越デパートの包装紙のデザイナーとして親しまれている。
ゲートプラザに置かれた巨大なオブジェ
この美術館の計画が始まったときは、猪熊は健在であった。
谷口は猪熊と相談を重ねて構想をねったと言われている。
エントランス
1階、美術館エントランスホール
1階、美術館のエントランスホール、2階展示室への階段
2階展示室への階段。
東京にあっても、ニューヨークにあってもおかしくない現代建築の最先端の空間が展開している。
時空を超えたモダニズムの空間がある。それは、谷口の数多くの美術館に共通の空気である。それを造るために一切の妥協を拒否しているように見える。
2階から3階カフェへの階段。
3階カスケードプラザ
カスケードプラザの開口部
1階のプラザから3階のカフェレストランまでいっきに繋いだ大きな吹き抜け。
ゲートプラザからは、丸亀駅前の広場が連続している様子がよくわかる。
ここは丸亀の祭りの舞台となるらしい。
美術館の側面に回り込むと、そこは図書館になっていた。
あやうく見落とすところだった。地元の人に教えられて廻り込んだところだった。
図書館の中は普通の閲覧室、書庫になっており、大勢の人々であふれていた。一番奥に猪熊弦一郎の壁画があった。
丸亀市は、こんな超一等地に、なぜこんな思い切った美術館と図書館を建てることができたのか。
その疑問を解くカギがこの石碑にあった。
藤井久美氏から丸亀市に
貴重な土地が寄贈されたことにより
この地に文化都市丸亀の
拠点となる市立美術館と
図書館が建設された
1991年11月 丸亀市
と書かれてあった。
いったい、この藤井久美とはだれか。
こんなものすごい事業の元を造った人だから、郷土の偉人と言って間違いない。
しかし、その情報はどこにもなかった。
丸亀市立中央図書館に聞いてみた。しかし、資料は一切ない、建設当時の広報などの刊行物にも記載がない、という。聞く所によると、藤井久美さんは高齢の女性で、表には一切出たくないというご本人の意向だったという。まさに郷土の恩人である。こういう人によって日本の文化は支えられている。
こういう人のことこそ、子どもたちに言い伝える必要があると思うのだが。
この建築は、土地を無償で寄付した藤井久美、全作品を寄付された猪熊弦一郎、そして、谷口吉生の出会いによって実現した。それを結びつけ実行した知事、市長の構想力と決断力が大きかったのは言うまでもない。
この建築、どこをとってもモダニズムの最先端の作品である。
世界中のどこに建っても違和感のないインターナショナルな作品である。
丹下の香川県庁舎のようなこれ見よがしの和風はどこにもない。
しかし、キリッとした幾何学的な線、フラットな面、繊細なディテール、など和風を感じさせると言えなくもない。
日本人でなければ、できない作品である。
これこそ、谷口吉生のつくる世界である。
衰退しつつある丸亀市のなかで、輝く都市の核になっている。
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