尾山神社や近江町市場から徒歩5分という、金沢の市街地の真ん中に位置しており、玉川公園という緑地に隣接した極めて恵まれた環境に建っている。
もとは、専売公社の金沢煙草製造所という煉瓦造のタバコ工場をリノベーションした古文書館と新築の図書館の複合建築である。
手前の新築の図書館は、鉄板とガラス窓の極めて単純で力強い構成のモダニズム建築だった。
建築家ならだれでも一度は試してみたくなるコールテン鋼、サビが保護膜となって、メンテナンスを必要としない鋼材。エーロ・サーリネンがディアカンパニー(1963)に大々的に使って、一挙に有名になった「耐候性鋼材」である。
一般的な印象は赤錆色であるが、ここでは、黒い。竣工当時の「新建築」誌の説明によれば、「酸化促進処理塗装」だそうである。ここで、赤サビを発生させると、ガラスがサビで汚れることが十分考えられるからに違いない。
なんという単純な構成。ガラス部分は成人用閲覧室の部分。
中心部に図書館の開架部門入口があり、その中心にステンレスの丸いリングがある。ここが正面玄関であることをアピールしているのだろう。近代建築では、玄関を明示することが非常に難しい。
日本には古来唐破風という明快な玄関の表現方法があったが、近代建築は装飾を排除したので、玄関は単なる入口となり、その表現は極めて難しい課題なのだ。
ここでは、ステンレスのリングが唐破風の役割を果たしている。
材質の違う金属の組み合わせ。鋭い対比。近代建築における玄関のデザインとして秀逸である。
図書館の向こうに煉瓦造の古文書館が見えてきた。こちらはかつてのタバコ工場である。外壁を残して古文書館としてリノベーションしている。古い建築を壊さずに残そうという動きのかなり早い事例である。
鉄板とガラスの図書館と煉瓦造の古文書館という対照的な建築が対峙する。
この建築群は設計が「谷口・五井設計共同体」総合監修が谷口吉郎、つまり、設計の中心は谷口吉生だが、その上に父親の谷口吉郎がいたのだ。
この作品が発表されたのは1979年7月の『新建築』誌であるが、父吉郎は、この竣工をまたずに2月に亡くなっているのである。
谷口吉郎は、日本の近代建築の開拓者であるとともに、博物館明治村の開村に尽力し、初代館長を勤めた。明治建築の保存に熱心に取り組んだことで知られている。その吉郎が自らの出身地金沢で明治建築の保存再生に取り組んだのがこれだったのである。
それが生涯最後の仕事となり、しかもご子息吉生との最初で最後の協働作業となった。
吉郎の監修作業は熱の籠ったものだった。吉生によれば「混濁する意識の中でなおも、やりかけの仕事の図面と模型写真を病院にもってくるよう」指示したほど強い執着を示したというのである。
2階平面図
1階平面図
正面の突き当たりが両建築へのエントランスホールである。
図書館の中庭、なんという強引な開口部。
図書館は外観は鉄板とガラスという超モダンな表現であったが、中庭は、古文書館との連続性を意識して、煉瓦が敷き詰められている。
中庭の彫刻は伊藤隆道作「二つの弧・落水」1978
左のガラス部分が開架書庫の児童図書閲覧室の部分である。丸い穴のあいた大きな梁は左の開架書庫と右の図書館管理棟とをつないでいる。
中庭にむけた開口部は大きなガラスのカーテンウォールになったいる。
この入口から図書館のラウンジへ入れるが、そのまま向こうの中庭へ通り抜けることもできる。
右上の張り出しは、喫茶室の円形ソファーの部分である。
ここが全体の玄関で、左が図書館、右が古文書館である。
外から見ると中庭はかなり閉じた表現になっている。
再び図書館の開架部分の正面へ廻って見る。
金沢市指定保存建造物
金沢市立図書館 別館
大正二年に日本専売公社たばこ工場として創建された建物の一部で、
明るい赤レンガの外観は、創建時そのままの美しいイギリス積みを残し、
内部補強の上、図書館本館と見事な調和を見せている。
金沢市
金沢市立図書館別館と書かれていた古文書館である。もとのタバコ工場を保存再生したもの。
吉生はこの図書館を『新建築』7月号に発表すると、2ヶ月後の9月号に掛川の「資生堂アートハウス」を発表している。つまりこの二つをほぼ同時に設計していたことがわかる。
吉生にとっては、慶応大学で機械工学科を卒業後、ハーバード大学で建築を学び、帰国後丹下健三の事務所に勤務し、独立して5年目であった。この5年間の作品6件をまとめて示して、当時の日本の都市の百花繚乱の混迷に対し、「ゲシュタルト的知覚を原型として建築空間をつくるひとつの試み」と説明している。そこに並んだ6つの作品はいずれも正方形か円形を基本にしており、この図書館の強い形態もその文脈から見ると分かりやすい。
この立体図を見ると、全体がほぼ正方形の中に納まったいることがよくわかる。吉生が「ゲシュタルト」ということばで主張していることが理解できるような気がするではないか。つまり、余分な凹凸を排し、単純な幾何学形態によって全体の形を決定したということである。
進むにつれて図書館の強い形が現れてくる。
混乱した都市の建築に対する吉生の毅然とした姿勢を感じとることができる。
新幹線の車窓から一瞬目に飛び込んでくる資生堂アートハウスは、白い建築という印象なので、これとすぐには結びつかないが、じつは、この鉄をタイルに置き換えると非常に良く似た外観かもしれない。
ちょっと強すぎる表現だが、商業施設ではないので、利用者に媚びる必要はないということであろう。
できたころは「金沢市立図書館本館」と呼ばれていたが、いまは「金沢市立玉川図書館」である。
内部は広々とした開架書庫になっている。
高い天井からの照明も十分である。
中庭に面した大きなガラス窓の部分はブラウジングと名付けられ、自由な読書スペースになっている。その横が雑誌の書棚。
柱のない広々とした高い天井が豊かな空間を感じさせてくれる。この図書館のもっとも魅力的な場所であろう。
中庭に面して、開放的だが、静かな空間になっている。
反対側は開館当時は児童図書閲覧室になっていたが、児童図書館が独立したので、ここは一般のブラウジングの延長になっている。
管理部門から開架部分へ架けられたブリッジ。
再び、外壁に沿って歩く。
成人閲覧室の前。
学生用の学習室を管理部門にまとめてあるので、開架部分は一般人がくつろいで利用できる。
開架部分と管理部門をつなぐ力強い鉄骨の梁が目につく。
この図書館にとって中庭は極めて重要な要素である。明るく開放的でしかも静かな環境を実現するためになくてはならない部分である。
柱のない広々とした開放的な閲覧室を作るためにこの大きな鉄骨の梁が働いている、それを隠さず表現しているのは単なるデザインではなく、この建築の大きな特徴を表現しているのである。
一見無表情に見えた図書館もこうして見てくるとなかなか味わいのある個性的な建築であることがわかるのではないでしょうか。
管理部門を貫いている通路。
管理部門の裏側。表とは表情が大きく異なるが、鉄板とガラスによる構成という原則は変えていない。
谷口吉郎と吉生の親子が共同で設計した最初で最後の作品といえば、なんだ世襲かと言われるかもしれない。
今日の日本では、政治家、芸能人など世襲がはびこっているので、やっぱり建築界でも、と思う人はいるかもしれない。
しかし、意外なことに建築界では世襲は珍しい。とくにトップクラスの建築家になると極めて珍しい。ほかに思いつくのは安井設計事務所、大江新太郎と宏の親子くらいかもしれない。しかし安井事務所は大きな組織事務所であり建築家というより社長である。大江新太郎は神社建築の専門家だから、近代建築の建築家とは言いがたいところがある。ほかにも親の七光りでかろうじて食いつないでいる人はいても、親を超えるような活躍をしている二代目建築家はまず見当たらない。
建築という極めて厳しい才能と努力を要する世界で、安易な世襲が成り立つわけがないのである。
谷口吉郎は日本の近代建築を牽引した人であるが、ご子息の吉生はさらに独自の世界を確立し、しかもそれが世界的に高い評価をうけ、ニューヨークの近代美術館MoMAの増築の設計者に選ばれるという最高の名誉を受けている。
谷口吉生の特徴は、寡作であるが1作ずつ決して手抜きのない全力投球を続けていることはだれしも認めるところである。
「建築家の家に生まれることで人より早く走り出すことはできたが、より高いハードルが待ち構えていた。改めて振り返ってみると、差し引きゼロの建築家人生だった気がする。」と谷口吉生は書いている(『日経新聞』「私の履歴書」2017.6.1.〜30)
この金沢市立玉川図書館は、洗練されているとは言いがたいが、谷口の特徴がストレートに現れており、この建築家の出発点を示す非常に重要な作品である。
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孫通 (金曜日, 05 6月 2020 13:14)
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