ラトビアはバルト三国の真ん中の国であり、首都はリガ。リガはバルト海に面する港町として最も栄えた街であり、今も見事な建築が数多く残っている。
もともとドイツ人が来て彼らがこのあたりの商業活動を独占していたという。
市庁舎広場に面して建つこの建築はブラックヘッドの会館といい15世紀から建設が始まった商工会議所のような成功した商人たちのクラブ会館だったという。
15世紀から長年かけて建てられたものだが、第二次世界大戦が始まると、1941年にドイツ軍の空襲で破壊され、さらに戦後進駐して来たソ連により完全に撤去された。ラトビアが1991年に独立した後1999年に再建され、細部まで精巧に再現された。
月、日、時間、月齢を刻み続ける精巧で大きな時計はかつてのこの都市の繁栄をよく伝えている。
この国は18世紀からロシアに支配され、第一次世界大戦ではドイツに占領され、戦後一時独立をはたすものの、1940年にはソ連に併合され、1941年に第二次世界大戦が始まると再びドイツ軍に占領され、戦後1944年にはさらにソ連に占領され、1991年にやっと独立を果たした。
なんとも想像を絶する苦難の歴史に翻弄されたのである。
ソ連支配時代には数万人がシベリアに流刑されたという。
そんな暗い時代を象徴するいかにもソ連らしい像がまだ広場に立っている。
旧市街の真ん中のリーヴ広場。レストラン、屋台、などが集まっている。もっともにぎやかな街の中心。
こんな屋台も出てくる。
土産物の店も。
なかなか見事な建築がある。
壁面は豊かな彫刻で飾られている。
エントランスの上には2人の勝利の女神が花輪をかざしている。見事な彫刻だ。
ベランダを支える美女たち。
やや平面的だが、精巧なレリーフ。
よく見ると、羽を広げた精巧な孔雀の浮き彫りだった。左右に伸びた尾羽がアールヌーボーのデザインになっている。左側の柱に1902と竣工年が刻まれている。
広場の裏側で見かけた見事な装飾のファサード。
これも見事な浮き彫り。多分漆喰のコテ細工ではないだろうか。まかされた職人が存分に腕力を発揮している。見事な出来栄えだ。
少しクラシックな様式建築、格調の高い建築だ。
その一部に銘板が埋め込まれ、そこに1898と書かれている。アールヌーヴォーの兆しが見えるではないか。
ここまで来るとほぼ近代建築と言ってよい。窓のアーチ。壁の局面、壁のピンク色など、いろいろと近代建築の試みが見て取れる。
エントランス上部の装飾は見事にアールヌーヴォー。ここはフランスよりドイツの影響が強いので、同じ意味だが、アールヌーヴォーよりもユーゲントシュティールという言葉のほうがふさわしい。
リガ大聖堂の裏手にあるネイブルクス・ホテル。ユーゲントシュティール様式のネイブルク家の邸宅をアパートメント・ホテルに改装したものらしい。
旧市街を取り囲む城壁の一部だが、火薬庫に使われていた「火薬塔」。現在はラトビア軍事博物館となっている。内部は昔からの兵器、軍隊と戦争の歴史、あらゆる兵器がこれでもかというほど展示されている。
そんな展示の中になんと日の丸を発見!
「祈武運長久」とあり、大勢の署名がはっきりと読める。
こんな所で日の丸に出あうとは、驚きであった。
説明を読むと、「サハリン、1940、」とある。
サハリンは、当時「樺太」と言われ、日本の領土だったが、1945年、終戦間際にソ連が日ソ不可侵条約をやぶって侵攻してきたところであるが、なんと、ソ連軍の中にはラトビアの軍隊が混ざっており、サハリンまで来ていたことになる。
そのラトビア兵が日本軍と交戦し、この日の丸を奪ったということだろうか。
これだけはっきりと名前が読み取れるなら、関係者は割り出せると思うが、これを知っているのだろうか。
リガ大聖堂。全体はゴシックの教会だが、塔のデザインがなかなか風格がある。
尖塔部に移るあたりのふくらみがよい。
最先端の風見鶏。
正面から見るとまるで表情が違うので驚かされる。ゴシック、クラシック、バロックなどが混在しており、とても同じ建物とは思えない、なんとも不思議なデザインである。
中は意外とあっさりとしたゴシック聖堂の作りだった。
見事なのはパイプオルガン。1883年に作られ、当時世界に並ぶものがないと言われたそうである。荘重な装飾で覆われた姿は歴史を感じさせる。
ステンドグラスもなかなか見事である。
写実的でありながら、鮮やか色彩といい、力強いラインといい古いステンドグラスの美しさをよく表現している。
煉瓦造のゴシック建築という珍しい構造をよく表した部分。
この教会には、修道院のような中庭と回廊がある。修道院を併設しているのかもしれない。
回廊にはロマネスクの素朴な柱頭がある。
回廊は中庭を取り囲んでいる。
回廊からも特徴のある塔はみることができる。
照明器具と天井の装飾。
エントランスのドアの把手。手作り感が溢れている。
塔に登ると、街全体を望むことができる。教会のすぐ裏手にはダウガヴァ川という大きな川が流れている。
旧市街はすべて4〜5階の古い建築で埋め尽くされている。
ブレーメンの音楽隊。ブレーメンとは友好都市。街の中には動物がいっぱい。
逃げだしたアルマジロ。
屋根の上のネコ。
運河を使って旧市街を一周してくれる。
ロシア正教の教会があった。ここにもロシア人がかなり住んでいる。ソ連の占領時代に意識的にロシア人の移住を進めたらしい。
やはり椅子のない聖堂内部。
運河を囲んで広い公園がある。
長い並木の道がある。突き当たりは「自由記念碑」。
1935年にラトビアの独立を記念して建てられた「自由記念碑」高さ51m。塔の上の女性は3つの星を掲げているが、それはラトビアの3つの地域を表している。
ソ連時代には壊されそうになったが、ラトビア人の心を支え続けた。
いまも、終日衛兵が守っており、足元には献花が絶えない。
リガの最大の見所はやはりユーゲントシュティール、一般にアールヌーヴォーといわれている建築である。ここで紹介したのは、旧市街だけであるが、ユーゲントシュティール建築が沢山あるのは新市街と言われる城壁の東の外側である。
そこの建築は別の頁「ユーゲントシュティールの驚き」で紹介したので、ここは旧市街の紹介に留めた。
おそらく、この街のユーゲントシュティール建築は質量ともに世界最高である。こんなに質の高い建築が密集している街はほかにないと思われる。
なぜこの街にそんなに一気に質の高い建築が花開いたのか分からない、大きな謎が残った。
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