埼玉会館を見る

埼玉会館 設計:前川国男
埼玉会館 設計:前川国男 1966(昭和41)年

埼玉県の中心、浦和駅から徒歩10分、非常に便利な場所にある。

埼玉会館は大ホールと小ホールが中心の施設である。その他小ホールのホワイエの上部に高層の建築を建て、そこに大小の会議室を設けている。

二つのホールに挟まれるようにエスプラナードと名付けられたL字型の庭園があるが、これが都市に開かれたこの建築の最大の特徴になっている。

前川国男がル・コルビュジエの事務所から帰ってから、ヨーロッパの最新の近代建築を日本に実現しようと試行錯誤し、数々の失敗を重ねながらも、なんとか日本の風土、気候、文化に適した建築にたどりついた転機となる記念すべき作品がこれだ。

前川国男の後期の作品を特徴づけるもっとも大きな要素が壁面を構成する打ち込みタイルだ。この時代、ビルの壁面は「打ち放しコンクリート」か「タイル張り」が常識だった。

「打ち放しコンクリート」は戦後ル・コルビュジエが使って注目され、日本で大流行したものだが、雨が多く湿度の高い日本では劣化が激しく、次第に嫌われてきた。それに代わる仕上げとしてコンクリートの上に薄いタイルを貼る方法が普及しはじめた。しかし、これも時間がたつにつれて剥離して落下する事件が続発していた。

これに対し、前川国男は足のあるタイルを開発し、これをあらかじめ型枠の内側に貼っておき、コンクリートを打ち込んで一体化する工法を工夫したのだ。

「打ち込みタイル」が新宿の紀伊国屋などで試験的に使われたあと、全面的に使用されたのは、この埼玉会館が始めての作品だ。

こうして前川国男は独特の表情をもった耐久性のある外装を手に入れ、この後埼玉県立博物館、東京都美術館など、ほとんどの作品に適用し、前川建築の大きな特徴になっている。

事実、この埼玉会館は竣工後50年になるが、その表情はなにも変わらない。堅牢で美しい外装仕上げの技術であることが証明されている。

打ち込みタイルとはどんなものか、詳しく見ていこう。

(埼玉県芸術文化振興財団発行の「埼玉会館建築みどころハンドブック」より)

タイルに明いている小さな穴は釘の穴である。

タイルに明いている大きな穴はセパレーターというつっぱり棒を通す穴である。

これでタイルに穴が明いている理由、タイルとコンクリートが一体化して、剥がれない理由などがよく分かります。

足元を照らす照明器具。

窓のある壁面は打ち放しコンクリート。

ベランダの下側の打ち放しコンクリートは、非常に注意深く打設され、美しい表情を維持している。直接雨を受けないように配慮して使われているところに注意したい。

柱と曲面の取り合い。柱の真ん中に雨樋を通している。無骨なぶつかり合いをさけて、デリケートなディテールを工夫している。

曲面のタイルを使った、角の緩やかな曲面はこの建築の大きな特徴になっている。これがこの建築におおらかな優しい表情を与えている。

この後、前川国男はほとんどの建築にこの打ち込みタイルを使うことになるが、その一作ごとにタイルの色と形を工夫した。そのため、作品ごとにそれぞれ異なる色合い、表情をもっている。

埼玉会館の壁面もよく見ると、一枚ずつタイルの色あいが微妙に変化しており、深みのある味わい深い表情を見せている。よく見ると大きな穴と小さな穴が見える。

設地面も床のタイルと直接接することを避けて幅木のようなものをはさんでいる。よく工夫されている。

埼玉会館に求められた主な機能は大小二つの音楽堂、コンサートホールである。

しかし、前川国男は大小のホールだけでは満足しなかった。

この建築の第二の特徴、「広場」である。

都市の真ん中で、市民が自由に通り抜け、佇み、あるいは憩う。そんな広場を作りたい、都市と建築を媒介する空間を前川は提案した。

前川はそれを「エスプラナード」と名付け単なる広場と区別した。

もう一度、平面図を見てみよう。

大通りからつまり図の左から入るとエスプラナード1に出る。そのまま直進すれば、エントランスを通り、大ホールのホワイエへ入る。直進せずに右の階段を登るとエスプラナード2へでる。そのまま進んで、右へ曲がってゆくと、裏側の出口へと行く。ここは浦和駅からの商店街の突き当たりになっている。

2色のタイルを張りつめたエスプラナードはこの建築の二つ目の特徴である。

正面の暗い部分がエントランス、右の階段が上段のエスプラナード2へ続く。

敷地に高低差があるため、下と上の2段に分かれた広場が階段で結ばれている。

二つの広場は大ホールの壁面を取り囲むように広がっている。

この上段の広場の下は大ホールのホワイエになっている。

この広場のタイルの割り付けのため、スタッフの1人が1年間悪戦苦闘したといわれている。

大ホールの壁面は窓がないので、単調になるのをさけて、分割したり、大きめの照明器具が取り付けられている。

ここから見ると、タイルの割り付けに1年間努力したスタッフの苦心のあとが分かるような気がする。

大ホールはほとんどが地下に埋め込まれているので、あまり大きく感じられない。

この上段の広場は大ホールの2階席の後ろの出口と同じ高さなのだ。後に大ホールの2階席の後ろに出て驚かされることになる。

2色のタイルの貼り方が広場の単調さを救っている。

植え込みの廻りのタイルは自然に盛り上がっている。

大ホールのホワイエ。この上にエスプラナード2が広がっている。

レストランのボーイがトレイを支えるように、指を広げて広場を支えている気分を表現しているように見えるがどうだろうか。

広場と同じような床になっている。

エントランスからここへ降りてくるために緩やかなスロープが用意されている。ル・コルビュジエが愛用したランプを想像させるが、国立西洋美術館のスロープより緩やかで車いすでも使いやすいような気がする。

微妙な所にも気を使ってデザインしているのがわかる。

黄色い壁と赤い絨毯。大ホール廻りの色の使い方はかなり大胆だ。

上野の東京文化会館の壁面も大胆な赤が使われていて驚いた人は多いと思うが、この頃の前川国男はかなり思い切った色使いを楽しんでいる。

ベンチにも2色のシートを使い分けている。

いよいよ大ホールだ。

1,315席(1階1,049席、2階266席)

オーケストラピット使用時1,200席

壁から天井まで切れ目のない木造。木のねっとりとした包み込むような暖かみのある空間が広がっている。

木の質感、壁から天井への連続した曲面、それを強調するライト、絶妙なハーモニーを奏でていますね。

思えば、神奈川県立音楽堂が「木のホール」として親しまれているが、その遺伝子をしっかりと引き継いでいるのではないだろうか。

前川国男は、神奈川県立音楽堂のあと、上野に東京文化会館、そして埼玉会館と首都圏に代表的なホールを次々と手がけている。こんな建築家は他にいない。

星空を思わせるランダムな照明。

長方形の奥の深いホールである。

舞台からの光景。こんな光景はなかなか目にすることは出来ないが、ここの管理者の粋なはからいで見学・撮影のため一日開放していただいたうえ、撮影した写真をロビーで展示までしてくれるという。(「埼玉会館の魅力展」2018年10月3日〜8日)

管理者の建築に対する深い愛情を感じさせてくれる。感謝したい。

埼玉会館の利用率は非常に高い。

2018年9月11日、この日は第36回ランチタイム・コンサート NHK交響楽団メンバー&梯剛之という構成で、モーツァルト、シューベルト、ショパンの室内楽を1時間、1,000円で聞かせてくれた、満席であった。

地域に密着した企画を精力的に進めているように見える。

小ホール前のホワイエ。

陽が差し込むと打ち放しコンクリートの壁面のテクスチャーが見事に浮き上がる。

小ホール前の壁面。いろいろな色が使われている。

小ホール。

504席。

こちらは大ホールとは対照的にコンクリートを多用した固い表情になっている。

コンクリート製の壁面の反射を押さえるためだろう、不規則に穴があいている。

コンクリート製の壁面の詳細。

小ホールの後部座席と背面の壁。大ホールに比べて固い感じだ。

小ホールの上は会議室が沢山あるが、和室もある。

前川国男の設計した和室は珍しいが、この和室は特に変わったところはない。数寄家ではなく、簡素な書院造りの形式である。建築家として特に力を入れた痕跡はなく、サラッと流した感じである。

前川国男は和風にはほとんど興味が無かったのではないだろうか。そこには昭和戦前の国粋主義への拒否反応が尾を引いていると考えられる。

ル・コルビュジエの弟子として、戦後の近代建築を荷なって走ってきた前川国男が独自のスタイルを確立し、成熟した建築として結晶した建築作品である。

あまり建築のデザインに凝って独走することなく、市民にとって親しみやすく、使いやすい建築を実現した、安心して見ることのできる建築である。

61歳に達した前川国男の円熟した建築家としての力量を見ることができる。

 

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。