門の鉄扉はカサ・ビセンスから移設したものと言われている。ちなみに、カサ・ビセンスにはシュロの木が生い茂っていたという。
シュロの葉をモチーフにした門扉。鉄製ながらかなりリアルだ。
ガウディは1852年スペイン第二の都市バルセロナの郊外タラゴナで生まれた。
父も祖父も銅板を加工して鍋をつくる職人であった。ガウディは金属加工職人の血を受け継いで生まれたのである。
門扉の左側に建っている「守衛小屋」はまるでケーキのようだ。
クリームを盛り上げたような屋根
クリームの屋根はカラフルなトッピングで覆われている。
てっぺんにはキノコのような飾り。
クリームのように見えた屋根はカラフルなタイルで覆われたものだった。
ツルツルの屋根と、ザラザラの壁の対比
門扉の右側の「管理小屋」ではガウディグッズがいろいろ揃っている。
ここも石の壁とタイルの屋根という対比は同じだが、色合いや形が違う。
こちらのタイルは青っぽい。青い菱形が基本だ。
膨らんだ窓の鉄格子。フェンシング選手の防具のようだ。
窓の中柱がモザイクタイルで出来ていた。
窓の縁取りは一段と複雑なタイルになっている。
入口廻りの擁壁もさっそくガウディ調満載。
擁壁の壁は、白タイル、花タイル、対比が面白い。
タイルのデザインは他でも見ることができるが、おそらくこのグエル公園が最大の見せ場ではないだろうか。
窓から流れでたミルクのようなタイル。
エッジはシャープで、石の壁との取り合いもきれいだ。
さて、そろそろ公園の正面階段に取り付こうか。
ガウディが生涯のスポンサー、エウセビオ・グエルと出会ったのは、まだ20代、建築家の資格を取得して間もないころである。ガウディがデザインした手袋屋のショーケースを見て、そのデザイン力に目をつけたのだという。
グエルは当時繊維産業で成功を収めた実業家であった。それ以来、40年にわたってグエルはガウディを信頼し、次々と設計を依頼しつづけた。
繊維業で成功したグエルはバルセロナの街を見下ろす丘の上に15ヘクタールの土地を購入し、公園のほか、緑地をもった60戸の宅地を造成して売り出そうとした。1900年、20世紀に入ったばかりのころであった。
ところが、市民からはまったく理解されることなく、買ったのは、グエル家とガウディ家の2軒だけだった。
宅地造成は失敗に終わったが、完成した公園はグエル公園として、市に寄贈され、いまでは、公共の公園として開放され、ものすごい観光客を集めるバルセロナ随一の観光名所になっている。
観光客を迎えるのは、不思議な動物の頭。
階段を登りきると86本の堂々たる石の柱が林立する「市場」に出る。
ここには、当初、住宅地のなかのマーケットが予定されていた。
ギリシャ神殿のような柱は上の広場を支えている。
凹凸のある天井は白いタイルで仕上げられている。
天井の丸いモザイクは太陽と月を表しているという。
どこまでも丁寧な仕上がり。タイルのレリーフはガウディより27歳若い助手のジュジョールによるものだと言われている。
柱、庇の形はドーリス式のギリシャ神殿を模しているが、激しく変形している。ここからは、上の広場の様子はわからないが、この柱が上の広場を支えている。
広場へ出る前に横に走るなかば覆われた通路を見よう。
ここから、上部の道路とその下の通路の様子がよくわかる。
天井から鍾乳洞のように下がった岩が見える。
鉄の扉を開けて入ってゆく。石の壁にとりついた鉄の扉のデザインが興味深い。
ガウディの建築には、石、タイル、鉄など各種の職人の熟練した技術が駆使されているが、ここには鉄を自在にあやつる職人の技が光っている。
19世紀末は、卓越した職人が残っていた最後の時代であった。ガウディは彼らの力量を存分に引き出し職人たちがガウディの作品に最後の輝きを見せたのである。
近代建築は鉄を単なる柱・梁の素材とみなしたが、ガウディは鉄をまるで生き物のように扱い、生命を吹き込んだのである。
父、祖父の金属加工職人の血が脈々と引き継がれていることが実感できる。
「洗濯女の柱」頭上に籠を乗せている。いろんな遊び心が隠されている。
これらの石はすべて工事現場から掘り出されたものだという。敷地の傾斜のため、いたるところに段差ができている。
必要があって作られた柱だが、遊び心があふれている。
自然石を使いながら、力の流れに従い、傾斜した柱と壁により見事なトンネルを作り出している。
石の柱は廻りにある松やシュロの木と見事に調和して、違和感なく、まるで自然の一部のように溶け込んでいる。
擁壁は上部の自然と一体化してまったく違和感がない。
それにしても、この傾斜した柱、現代人には思いつかないのではないだろうか。
ねじれた柱が傾斜して上部のテラスを支持している。なんとも微妙なバランスだ。
こんな建造物が100年たってもしっかりと維持されていることが不思議でしょうがない。日本の常識では絶対にありえない!
この大胆な傾斜、この巻貝のようなねじれ、しかも自然の石を隙間なく貼り込んでいる。ため息がでるほどの想像力と緻密な作業量だ。
らせん状の柱の細部。柱ごとに色違いの石が使われている。赤い柱と白い柱が交互に立っている。
この柱はまるで鶏の足のようだ。
今にも崩れそうだが、なぜか、しっかりとできている。
じつに不思議な感覚だ。
広場の奥の壁はこのような石の列柱が上の丘を支えている。
タイルのベンチからはバルセロナの市街地を一望できる。
広場を支える市場の列柱の様子がよくわかる。
広場のエッジはカラフルなタイルの波打つベンチになっており、大勢の観光客がそこに集まっている。グエル公園の最大の見せ場だ。
ここはバルセロナ市街とその向こうに水平線を望む絶好の見晴し台なのだ。
一つとして同じものがない、多彩なタイルのデザインは弟子のジュジョールによるものだと言われている。ガウディよりも自由なのびのびしたデザインになっているのが彼の特徴かもしれない。
水抜きの穴もデザインにとりこまれている。
座面と背もたれは大変よく出来ており、座り心地は非常によい。いつまでも座っていたくなるベンチだ。単なる造型の遊びではない。
焼いた陶器をわざわざ割って貼ったのか、割れた陶器を集めたのか。
地中海の水平線がよく見える。
「管理小屋」の煙突が目の前に。
煙突の細部。普通は見えないこんなところまで、手を抜かずに細工が施されている。
後ろの高台から広場の全体を眺めてみる。
自然と一体化した背後の擁壁。
旧グエル邸、のち小学校として使われた。意外とふつうの建築だ。
バルセロナには「バルセロナ・パビリオン」という万国博覧会のドイツ館として作られた近代建築の名作がある。近代建築の3人の巨匠の1人と言われているミース・ファン・デル・ローエの設計したパビリオンだ。あらゆる建築の教科書に載っている近代建築の傑作である。しかも、できたのは数々のガウディ建築とほぼ同時代。そこはしかし、建築家以外に立ち寄る人はいない。異端の建築家ガウディの作品には観光客が押し寄せているというのに、その差はいったい何だろうか。
すぐにわかるのは、近代建築が追放した装飾がガウディ建築にはふんだんに使われていることだ。しかし、ガウディの建築は見かけ以上に構造的な裏付けがしっかりして合理的だと言われている。自由な形は決して気まぐれに作られたものではない。築後100年たっているのにびくともしないのを見てもそれは明らかだ。
壊れていないどころか、どれを見てもできたばかりのように美しく輝いている。
近代建築が直線ばかりで退屈なのに反して、ガウディ建築は植物や動物のように曲線ばかりなのも親しみやすい理由かもしれない。
しかし、なんといっても、建築を見る、体験する楽しさ、感動がここにはあるのではないだろうか。建築が本来もっている力、人に訴える力、人を感動させる力がここには溢れているのである。
近代建築の巨匠の1人ル・コルビュジエは、当初は幾何学的な直線ばかりの建築を作っていたが、60代の半ばになって、突然、曲線的なロンシャンの教会を設計する。コルビュジエがガウディに引き寄せられた瞬間、近代建築の大きな転換期であった。ガウディ建築は死後50年たってやっとその影響力を及ぼし始めたのであった。
近代建築のなかにガウディ建築があることがどんなに貴重なことか、その本当の価値にわれわれはまだ気がついていないのかもしれない。その価値が分かるのはこれからかも知れない。