東郷さん やっと涼しくなってきたけど、元気?
恵美ちゃん 毎日暑くて何もする気がおきなかったんですけど、少し本を読みました。
東郷さん どんな本を読んでたの?
恵美ちゃん 福岡伸一という分子生物学者の本が面白かったんです。
東郷さん その人どんなこと書いてるの?
恵美ちゃん 人の体を構成している細胞は毎日どんどん入れ替わっているので、体の変化は一瞬も止まっていないんですって。外見は同じに見えますけど、今日の私と明日の私は違う身体なんだって。
宮武先生 それが「動的平衡」という考え方ですよね。
恵美ちゃん その福岡さんがとっても建築が好きみたいで、ときどき建築のことを取り上げて書いているんです。
東郷さん どんなこと言っているの?
恵美ちゃん たとえば、メタボリズムという考え方は建築も新陳代謝するということですから、動的平衡の考え方と近い。黒川紀章の「中銀カプセルタワー」はそんな考え方でできて50年たつけど、いちどもカプセルが交換されることなく壊されそうになっている。これは、どうして失敗したかというと、交換されるはずの単位が大きすぎたからだというのです。もっと小さなミクロの単位で交換できるようにしておけば成り立ったかもしれないというのです。
東郷さん なかなか面白い指摘だなあ。
恵美ちゃん 隈研吾さんの建築はもっと小さなパーツを組み合わせているので、この方向なら「動的平衡建築」ができる可能性がある、というんです。
東郷さん それも面白い視点だなあ。
恵美ちゃん 福岡先生がその隈研吾さんに、建築家はどうして女性にもてるんですか?って聞いたそうなんです。そしたら、隈さんは建築家はいつも人を説得しているからです、って答えたそうなんです。福岡先生は「それはそうだなあ、建築家は自由自在に設計しているように見えて、まずは依頼主のわがままと無理難題を説得し、片や施工業者や現場からの文句や要求を説得し、周辺住民のクレームを説得し、コンペとなれば審査員を説得し、スポンサーを説得する。」ですって。
東郷さん 建築家のことをよく見てるなあ。
恵美ちゃん 「だから異性を説得することなどお茶の子さいさい。なるほど。」と書いているんです。
東郷さん うーん。離婚、再婚する有名建築家は多いから、外から見るとそう見えるのかもしれないなあ。フランク・ロイド・ライトは施主の奥さんを奪って逃げてしまったし、黒川紀章の奥さんは若尾文子という人気絶大の大女優だったもんなあ。丹下健三に至っては、立派な奥さんがいるのに飛行機のなかで「母に似た美しい女性」に声をかけて結局離婚・再婚してしまったからなあ。
宮武先生 ぼくも福岡さんが建築について書いたものを読んで驚いたことがありますよ。それは福岡さんが青山学院大学の先生なので、気になっていることらしいですが、さっき恵美ちゃんが言ったように、青山学院大学の正門の前に丹下健三が設計した国連大学があるんです。それは左右対称のピラミッド状の建築なんだけど、その中心線が青山学院大学の正門を通って、まっすぐ大学のメインストリートを貫いている、「国連大学の中心線は、なんと青山学院大学のプロムナードの中心線と寸分たがわずぴたりと合わせられている…頼んでもいないのに。」と書いているんですよ。
恵美ちゃん そうですよ。青学の真っ正面に国連大学があるんです。
宮武先生 私はそれを読んで、青山学院大学へ行ってみたんですよ。そうしたら、確かに国連大学の中心軸が青学のメインストリートを貫いているんです。行きには気がつかないけど、帰りには、真っ正面に国連大学が堂々と聳えているんで、相当圧迫感を感じましたね。他の大学まで支配しようとしているみたいです。
東郷さん 丹下健三は中心軸が好きだからなあ。あれでまわりを支配しちゃうんだよなあ。広島ピースセンター、東京都庁舎、横浜美術館、丹下健三は「軸」の建築家なんだよなあ。
宮武先生 丹下さんは建築のスタイルはいろいろ変化させたけど、軸線で計画する方法は初めから最後まで一貫していますねえ。福岡さんはその丹下の本質を見事に見抜いている。すごい眼力だ、と思いました。
恵美ちゃん 先日、ジェイン・ジェイコブスの「ニューヨーク都市計画革命」という映画を見に行ったんです。その案内パンフに福岡伸一さんが解説を書いていて、おやっと思ったんです。
そこにもいまの国連大学の話がでてくるんですけど、面白いのは「もし、丹下健三に「理想の魚を設計してください」と依頼したら、鉛筆を持った彼の指は、すっと横一線に、全体を貫く背骨を第一に引いたことだろう。」と書いているんです。
しかし、生物としての魚はそんな風にはつくられていない、というのです。生命体はまず背骨が設計されたわけではない、むしろ反対に分散的に細胞の集合体がおしあいへしあいして徐々に背骨が出来てくるというのです。
都市も、本来は、設計的な方法ではなく、生物のように発生的に作られるべきだというのです。
それは、ジェイコブスが都市について言っていることとまったく同じなんです。福岡伸一ってすごい人だなあ、って改めて思いました。
宮武先生 ジェイコブスは自分の家の近所の小さな公園が再開発でつぶされると聞いて立ち上がったんです。その結果、ニューヨークで辣腕をふるった都市計画の大物モーゼスに真っ向から立ち向かって、主婦の力を集めて公園をつぶす大規模な都市計画をとめてしまったんですが、これがル・コルビュジエ的な上から目線の都市計画にブレーキをかけた歴史的な出来事だったんですね。
東郷さん ル・コルビュジエは近代建築と都市のリーダーとして圧倒的な影響力を持っていたんだけど、1960年ころ、建築はヴェンチューリにとどめを刺され、都市はジェイコブスに叩きのめされた。近代建築の大きな大きな節目なんだよなあ。
宮武先生 その歴史の転換の意味を本当に理解しているのは、この福岡伸一さんかもしれません。
東郷さん 福岡伸一の、人体も都市も同じように生物だという見方はすごいなあ。建築や都市をやっている人たちは福岡伸一から学ぶことがいっぱいありそうだなあ。
恵美ちゃん たしか福岡先生のおっしゃるような、動的平衡建築ができるとおもしろいと思いますが、いかがでしょうか。
東郷さん しかし、木造の和風建築の保存や修復や民家の再生をやっている人にとっては、この考え方はそんなに異質ではないと思うよ。
恵美ちゃん たしかに、和風建築は、障子の紙を張り替えたり、畳を裏返したり、茅葺きの屋根は部分的に萱を差し替えたり、葺き替えたりもしますね。毎年どこか手を入れて生き生きと維持するのが普通ですね。
宮武先生 和風建築は柱や根太も傷むと差し替えることができます。まさに福岡さんの動的平衡の建築版をやってきたと思います。でも、近代建築になって、鉄筋コンクリートになって、それが出来にくくなってしまった。
東郷さん しかし、ヨーロッパへ行くと、古い石造のホテルの中へ入ってみると、中はすごく近代的に改装されていることがよくあるよね。とくにバスルームなんかはすごく近代的になっていて驚かされることがあるんだよね。カギなんかもどんどん進化しているよね。ヨーロッパの建築は外観は変わらないけど、内部はいつも手を入れているような気がする。建築も動的平衡が正解なのかもしれないなあ。
恵美ちゃん 伊勢神宮みたいに20年目にばさっと建て替えるのではなくて、いつも少しずつ取り替えて長く使うのが理想かもしれませんね。
宮武先生 これからの建築は、少しずつリフォームをして長く使うのが理想ですね。それは福岡さんの動的平衡という考え方がとても参考になると思います。「動的平衡建築」はこれから目指すべき目標かもしれませんね。
恵美ちゃん 福岡伸一さんの本はどれをとっても面白いんです。生物学の最先端の話題を分かりやすく書いてくれるし、視野が広いので、どんな分野の人が読んでも教えられることがあるんじゃないかなあ。
宮武先生 専門領域の話をこんなに魅力的に書ける人が建築界にいないのが残念ですね。