東郷さん この前、世田谷区庁舎に来てから2年たつよね。
恵美ちゃん あのあと、ついに建て替えが決まって、コンペになったって聞いてますけど。
東郷さん そうなんだ。コンペというかプロポーザルに応募した6社の審査の結果、佐藤総合計画の案が選ばれたんだ。
恵美ちゃん それはどんな案なんですか。
東郷さん 広場と区民会館は残す。第一、第二、第三庁舎を壊して、5階建てくらいの庁舎を建てる。現在の食堂の上あたりに10階建くらいの議会棟を建てるというものなんだ。
恵美ちゃん ふーん。だけど、私はその前に現在の庁舎についてもっと知りたいんですけど。この建築どこが良いんだかよく分からないんだなあ。
宮武先生 そうだね。今日はそれを課題にして見ていきましょうか。
恵美ちゃん 世田谷線の松陰神社前から歩いてくると、ここへ出るんですねえ。
東郷さん これが一番近い。
恵美ちゃん ここからの印象がちょっと弱いんですよね。区役所なら普通はもっとはっきりした建築がどーんとあるじゃないですか。
宮武先生 普通はそうですね。そこが逆に前川國男さんの建築の大きな特徴なんですよ。
宮武先生 ケヤキの間を散歩しているような感じ。いいじゃないですか。
恵美ちゃん 建築はケヤキの間にチラチラ見える程度なんですね。
宮武先生 そうですね。庁舎が目の前に聳えるのではなくて、ケヤキの並木の中を歩く。これが世田谷区役所の特徴なんです。
恵美ちゃん いま気がついたんですけど、舗装が建物の下を通って、向こうの広場まで続いていたんですね。
東郷さん ピロティを抜けて広場へ続く。ここが大切なところなんだ。ピロティがゲートのようになっている。
恵美ちゃん 左が区民会館、右が庁舎ですよね。職員の方も区民もここを行ったり来たりしているのは、ちょっといいですね。
東郷さん そうなんだ。ここはピロティの空間が生きているんだ。
恵美ちゃん 広場へ抜けている感じがとってもいいですね。
宮武先生 ピロティを抜けて広場へ、この感じで成功しているのは日本でここが最高だと思います。
恵美ちゃん 区民が自然に通り抜けていきますね。
東郷さん 日中は、ピロティに椅子やテーブルを出しているんだ。
宮武先生 これが出来たのは1959年ですが、この時代、ピロティをこのように作る機運がとても強かったんですよ。じつは、丹下健三さんも香川県庁舎ではよく似たピロティを作っています。
恵美ちゃん えーと、前川さんが1905年生まれ、丹下さんが1913年生まれ、つまり丹下さんは前川さんより8歳若いんですね。
宮武先生 丹下さんは東京大学の後輩だし、大学を卒業してすぐに前川さんの事務所に入っている。つまり丹下さんは前川さんの後輩であり弟子なんです。この写真を見てください。
宮武先生 これが丹下健三の香川県庁舎のピロティです。
東郷さん ほーっ。世田谷のピロティとよく似ているなあ。前川さんと丹下さんはぜんぜん違うと思っていたけど、この頃は同じようなことをやっていたんだ。
宮武先生 ただ、ここは何かをつないでいるわけではなく、通る必要もない、ピロティをつくるために作ったという感じが強いんですね。
宮武先生 ピロティを抜けるとこの広場というか庭園にでます。
恵美ちゃん これは広場じゃなくて日本庭園ですね。見るために作った庭みたいですね。
東郷さん 世田谷の広場とはぜんぜん性格が違うものだなあ。
東郷さん こちらの方が市民広場ということばにピッタリだなあ。
恵美ちゃん 左が区民会館ですね。
東郷さん ピロティが額縁になって広場が絵のように見える。おれはこの構図が好きなんだよなあ。
恵美ちゃん 広場へ抜けている感じがとってもいいですね。
恵美ちゃん 改めて見直すと、これだけ見事な広場をもった区役所はないかもしれませんね。
東郷さん 東京23区にはないなあ。東京だけじゃない。日本中さがしてもこんな広場はないんじゃないかなあ。
宮武先生 じつはこれが出来たころ(1960年頃)、広場がとても重要なキーワードになっていて、いろんなところで作ろうとしたんです。丹下さんは同時代に香川県庁舎の他に、今治市庁舎(1957)と倉敷市庁舎(1960)を設計しています。そこでもテーマは市民広場でした。次の写真を見てください。
宮武先生 これは丹下健三の設計した愛媛県今治市の市庁舎と公会堂の写真です。丹下さんはこれを設計するとき、さかんに市民広場と言いながら設計していました。これを発表する雑誌で「広々とした快適な広場を取り入れることによって、市民のための集まりや憩いの場をつくりたいと考え、配置計画をすすめた」と書いているんです。
恵美ちゃん これは市民の憩いの場どころか、そもそも広場じゃないですね。ただの駐車場じゃないですか。
東郷さん これを見ると世田谷の広場はすごいなあ。全然違うよ。
宮武先生 航空写真で現状を確認してみましょう。
宮武先生 これが今治市庁舎の現状です。
東郷さん うーん、完全な駐車場だなあ。市民広場なんてどこにもない。
恵美ちゃん 世田谷とはまるで違いますね。
宮武先生 ではもうひとつ、1960年にできた倉敷市庁舎を見てみましょう。
宮武先生 これは倉敷市庁舎です。いまは美術館になっています。このときも市民広場ということが強調されていました。
宮武先生 これも市民広場のはずが完全な駐車場になっています。
恵美ちゃん これもただの駐車場ですね。
宮武先生 これも航空写真で確かめてみましょう。
宮武先生 これが倉敷市庁舎(現在美術館)の現状です。
東郷さん たしかに駐車場だなあ。
恵美ちゃん これを見ると世田谷の広場ってすごいですね。
東郷さん 改めて世田谷の広場がいかに貴重なものかがわかるなあ。
恵美ちゃん 今治や倉敷に比べて、ここに車が一台も入ってないことがいかにすごいことかということがよくわかりますね。
宮武先生 ケヤキで囲まれた広場になっていること、きちんと舗装されて広場だと主張していることがいかに大切なことかよくわかりますね。
恵美ちゃん ただの広場と思っていましたが、こうして見ると世田谷の広場がなぜ大切かよくわかりました。
宮武先生 世田谷の広場は、近代建築がつくった広場として最高のものかもしれません。
東郷さん たしかに間違いなく最高の広場でしょう。
宮武先生 当時は広場こそ民主主義の基礎だと考えられていたんです。それがよく守られて、いまでも生き生きと機能していると思います。
東郷さん 前川國男がどこを頑張ったのかよく分かるなあ。
宮武先生 つぎに区庁舎を見てみましょう。第一庁舎の南面です。
恵美ちゃん この角度から見たのは初めてです。思っていたよりキリッとしたオフィスビルなんですね。
東郷さん 右端の煙突がかなり目立つなあ。
宮武先生 市役所なんでなにかシンボリックなものが欲しかったのでしょう。
恵美ちゃん 建物の両側の柱が白いのはどうしてかしら。
宮武先生 耐震補強して太くしたときに白くしたんでしょう。真ん中あたりの白い部分も耐震補強でしょう。
東郷さん なんで耐震補強を目立たせるのか理解できないなあ。
宮武先生 これが一番よく目にする角度ですね。
恵美ちゃん これが普通の風景なんです。でも中心に大きな煙突がきて、これが一番の見せ場なの?っていつもシャッター押すのをためらうんですよ。
東郷さん そうだね、どうみてもこれがメインのアングルと言われると疑問を感じるだろうなあ。
宮武先生 庁舎の右側の上の方にちょっと張り出した部分があるでしょう。あれが当初の区議会の議場なんです。第二庁舎ができたときにもっと大きな議場を作ったので、いまはこれは議場としては使われていないようです。
宮武先生 議場をシンボリックにデザインして、ここを中心にデザインをまとめるというのは、理解しやすいんですけどね。
恵美ちゃん でも、これは、正面ではないし、ずいぶん見にくい角度ですね。
東郷さん 普通の建築家なら、絶対にこれを中心にして正面のデザインをまとめるだろうなあ。その方が絶対にかっこいい。
宮武先生 ということは、前川國男という建築家は、かっこよくデザインすることをあまり重要なことと考えていなかったということなんですよ。
東郷さん 普通ではありえないことだけどなあ。
宮武先生 つまり、前川さんは、かっこ良く見えるデザインよりも居心地の良い使いやすい建築を優先したわけです。
宮武先生 なかに入ってみましょう。中心に客溜まりがあって、大きな階段が角度をつけて2階へ上がっています。
恵美ちゃん ゆったりした大きな階段ですね。
東郷さん この1階と2階の中心部に窓口をまとめたわけだ。
恵美ちゃん わかりやすいつくりですね。
宮武先生 正面の大きなレリーフは大沢昌助という画家の作品。
恵美ちゃん 立派なロビーだと思いますけど、なんだか雑然とした使い方ですね。もう少しきれいに使えないのかなあ。
宮武先生 自然光を取り入れたトップライトですね。
東郷さん 薄い梁を渡した工夫のあとがわかるなあ。
宮武先生 第二庁舎は9年後1969年に出来ています。
恵美ちゃん どうどうとした庇ですね。
東郷さん こっちに議会が移ってきたのがわかる。
宮武先生 第二庁舎のデザインは第一とちょっとちがうのがわかります。
東郷さん せっかくキリッとしたきれいなファサードなのにここでも耐震補強が気になるなあ。
恵美ちゃん 素朴な質問ですけど、どうしてあとから補強しなくていいように最初から余裕のある丈夫な設計をしないんですか?
東郷さん そんな設計したら、すぐ税金の無駄遣いと言って削られちゃうよ。
宮武先生 そうですね。公共建築はつねにその時許される最低限の費用で建てることが義務づけられているんですよ。
宮武先生 では、区民会館を見てゆきましょう。
恵美ちゃん すごい迫力ですね。
東郷さん コンクリートの折板構造というもので、当時は少ない材料で安く作る合理的な構造だったんだ。
恵美ちゃん つまり屏風みたいな壁ですね。
東郷さん そう、柱も梁もない薄い壁だけで折り紙のように出来ていてしかも丈夫なんだ。
恵美ちゃん どうしてこの頃だけできたんですか?
東郷さん 鉄などの材料が安くなった反面、人手は高くなって、こういう手のかかる作り方は出来なくなってしまったんだ。
宮武先生 さあ、中に入りましょう。まず食堂の奥にこんな和風の池と滝があるの知ってましたか?
恵美ちゃん あら、こんな池や滝もあったんですか。
東郷さん みごとなもんだと思うけど、あまり生かされていないなあ。もったいない。
宮武先生 これが区民会館の1階ロビーです。
恵美ちゃん 思ったより華やかですね。
宮武先生 階段も華やかでしょ。
恵美ちゃん コンサートホールという雰囲気です。
東郷さん 戦後の貧しかったとき、乏しい予算で、コンサートホールの華やかさ楽しさをどうしたら区民に提供できるか、前川國男の強い思いがよく出ていると思うなあ。
恵美ちゃん 中も本格的なコンサートホールですね。
東郷さん なかなか見事なもんだよ。前川國男は、戦後初めて神奈川県からコンサートホールを受注して、ロンドンのロイヤル・フェルティバル・ホールを徹底的に研究したと言われているけど、その神奈川県立音楽堂はいまだに高い評価を得ているそうだ。そのあと、福島県教育会館で節板構造のホールを設計しているので、このホールはそれに続く3つ目の音楽ホールなんだ。
宮武先生 前川さん自身が戦前にコルビュジエの事務所にいたときに、パリのコンサートを聞きまくったという話もあるから、本物のコンサートホールをよく知っていたんでしょうね。
恵美ちゃん この折板構造ですけど、これは珍しいものなんですか?
東郷さん 珍しいものだけど、ほかに少しあるんだ。同じ頃できたんだけど、福島市、今治市、高崎市、の3つだね。まるで絶滅危惧種だよ。
東郷さん これは福島市にある「福島県教育会館」福島県の先生たちが自分たちの集まる場所がほしいと寄付しあって作ったものなんだ。設計したのは、前川事務所のなかのスタッフが前川さんの指示を離れてグループを作って設計した。実際は大高正人がリーダーシップをとって進めたと言われている。
宮武先生 大高正人といえば、東京文化会館も大高さんが中心だったと言われています。
東郷さん 丹下健三が自分の出身地今治市に設計したものだ。世田谷より8年あとだけど、よく似ている。
恵美ちゃん 似ているというより、そっくりですね。
東郷さん 高崎市にできた大きな音楽堂。群馬フィルハーモニーオーケストラの活動を支えるため、市民が大々的に募金し1億円を集めて、乏しい市の予算を助けて実現したと言われているんだ。これは屋根も折板構造でできている。素晴らしい建築だよ。
恵美ちゃん 同じ節板構造といってもずいぶん印象が違いますね。同類の建築がこれだけ集まるとすごいなあ。いつかツアーで巡ってみたいですね。
恵美ちゃん 今日は、世田谷区庁舎と区民会館を見直して、とても楽しかったです。私はいままで、ここは何だか暗いなあと思っていたんですが、見直してみたら、すごい価値のある建築だとわかりました。特に広場はすごい貴重品ですね。
東郷さん 普段何気なく見ていると、その価値が分からないことがあるけど、地味ないぶし銀のようないい建築だよな。ぜひ大切に使っていきたいものだなあ。
宮武先生 前川さんの建築は丹下さんのようにギラギラと自己主張をしないので、分かりにくいところがあります。しかし、よく見るとじつに丁寧につくられているし、使う人の立場に立ってつくっています。使う人がそこを理解してくれるとその価値がわかると思います。
恵美ちゃん 前川さんの建築は分かりにくいですね。いちど他の建築も含めてよく見直してみたいと思います。
東郷さん 前川さんの建築は公共建築が多いし、公開されているものが多いので、ぜひいろいろと見てほしいなあ。
恵美ちゃん 今日は、世田谷を見直して、前川さんの建築の価値が少し分かったような気がします。ありがとうございました。