恵美ちゃん 建築探偵の藤森照信さんは前川さんに会ったことがないそうですね。
東郷さん ほんと?だれにでも会っているような人だから、当然前川さんにも会ってたと思うけど。
恵美ちゃん それがね、前川さんに興味がなかったんですって。
東郷さん えー。どういうこと?
恵美ちゃん 藤森さんは前川さんの作品はほとんど見てなかったみたいなんです。みんなに見ろ見ろと言われて、最晩年の作品「熊本県立美術館」を見にいったら、思ったよりよかったんでびっくりしたんですって。
東郷さん それで藤森さんは前川さんを見直したのかなあ。
恵美ちゃん 初めの「前川自邸」と最後の「熊本県立美術館」だけは良さがわかったそうです。でもその間の作品は丹下さんの影みたいな感じだから見なくてもいいというのです。
宮武先生 藤森さんは近代建築の研究者の現役最長老としてみんなから尊敬されていますけど、その人が前川さんに対してその程度の認識しか持っていないんですね。前川さんの建築をどう見たらいいのか分からないというのが実情なんですよ。
恵美ちゃん でも前川さんといえば、日本の近代建築の開拓者としてだれからも尊敬されている人じゃないんですか?
東郷さん 大学卒業と同時にシペリア鉄道に乗ってパリのル・コルビュジエのアトリエに入門したのは有名な話だよね。それ以来、近代建築を日本に本格的に広めた活動はよく知られているよ。日本の近代建築のパイオニアであることはだれも異論はないと思うけどなあ。
恵美ちゃん じゃあなぜ藤森さんは興味がなかったなんていうのですか?
宮武先生 そうですね。戦前はたしかに前川さんはいろんなコンペを通して非常に精力的に近代建築の開拓者として活躍したことは確かです。しかし、戦争中に大きなコンペで丹下健三に負けて以来、丹下さんに王座を奪われてしまったんです。
恵美ちゃん 前川さんは戦前にル・コルビュジエについて近代建築を勉強したということですが、丹下さんはどうだたんですか?
宮武先生 丹下さんが卒業するころはもう第二次世界大戦が迫っていましたから、海外へ行くことができなかったんです。
恵美ちゃん じゃあ丹下さんの世代はだれも留学していないということですか?
宮武先生 前川さんの世代までは優秀な人は必ず海外留学したけど、丹下さんの世代はだれも海外留学していません。前川さんは2年間コルビュジエのアトリエに在籍してパリ生活を体験していますから、ヨーロッパの文化を十分に身につけて帰ってきたんです。
東郷さん その違いは大きいなあ。
宮武先生 前川さんは学生時代に岸田日出刀という先生がヨーロッパ留学から買って帰ったコルビュジエの作品集をもらったそうです。丹下さんの学生時代にはコルビュジエの作品集をいつも持ち歩いていたという話は有名です。その頃には海外のいろんな建築雑誌が入って来て、建築の学生たちは奪い合いように見ていたそうです。つまり、建築の学生はヨーロッパの建築家の作品集や雑誌を見て近代建築を学んだということです。
東郷さん 丹下さんに限らず、日本の建築家は西洋の建築を本から、つまり写真から学んだというのが実情なんだよなあ。
恵美ちゃん 写真がそんなに重要だったんですか。
東郷さん そうだねえ。なかなかヨーロッパへは行けなかったからねえ。写真のインパクトが大きかったんだよ。海外の情報は写真しかなかったからねえ。
宮武先生 そのため、どうしても写真ばえする建築がもてはやされる傾向があるんです。いまでもそれはあまり変わらないでしょう。
恵美ちゃん ということは、見た目のカッコいい建築がもてはやされたということでしょうか。
東郷さん そうなんだよ。どうしても、使いよさ、住み心地や耐久性より、シンポルとしてのインパクトが優先される傾向があるんだよ。
宮武先生 建築雑誌を飾る建築は、どうしても写真を通して評価されますから、見栄えのよい建築が優先されることになるんですよ。
宮武先生 丹下健三は近代建築に日本建築のエキスを注入して斬新な表現を発表して世界を驚かせたんです。この作品は写真の効果を計算しつくした設計です。
東郷さん たしかに、世界の建築家たちが、これを見て、日本建築のエッセンスが近代建築に生きていると驚いたのは間違いないだろうなあ。
東郷さん これなんかは最新のシェル構造を使って、まったく柱のない大空間を作って、しかもものすごくシンボリックな教会を作ってしまった。近代建築でもこんなモニュメントができるんだぞという典型だなあ。
東郷さん 丹下さんは生涯を通して軸線の通った、シンメトリーの建築、つまり、シンボリックな街の中にそびえ立つような建築を追求したのは間違いない。
恵美ちゃん たしかにどれも写真でよく分かる建築ですね。
恵美ちゃん これはまた強烈ですね。
東郷さん これは、前川さんより大分あと、戦後にル・コルビュジエに入門した吉阪隆正の作品だけど、これもすごいシンボリックな建築だ。
宮武先生 コルビュジエの建築もどれもシンボリックな造型が魅力的なんです。
東郷さん 丹下さんよりちょっと遅れてでてきた菊竹清訓のホテル。ものすごい自己主張。建築のシンボル性を突き詰めたような作品だ。
恵美ちゃん すごい力強い建築ですね。ぞくぞくするような力がみなぎっていますね。
宮武先生 こういう建築が日本の近代建築の代表作ということになります。どうですか。写真写りのいい分かりやすい建築でしょう。こういう建築が戦後の近代建築を引っ張ってきたわけです。
恵美ちゃん では、近代建築のリーダーだった前川國男という建築家はどんな建築を作ってきたんですか? 本当に丹下さんの影みたいな人だったんですか?
宮武先生 では、前川さんの主な建築を見ていきましょうか。
宮武先生 では、最初に前川自邸。これは、戦争中にできたものですけど、目黒に建っていましたが、いまは、小金井の「江戸東京たてもの園」に移築されてだれでも見られるようになっています。太平洋戦争の開戦直後に30坪制限ギリギリの大きさで建った木造建築です。前川さんにしては珍しく左右対称で、分かりやすいはっきりとした正面をもった建築です。木造モダニズムの傑作なんて言われることがあります。
宮武先生 前川さんはここで奥さまと2人で1942年から住んだわけですが、空襲で銀座の事務所が焼けてしまったので、戦後しばらくはここが設計事務所になっていたんです。ここに十数人の若いスタッフが製図板を並べて、朝から晩まで図面を描いていたそうです。前川さんの戦後の代表作がここから沢山生まれたんです。
宮武先生 狭いながら、コルビュジエが追求した中2階のある大きな空間をうまく作っています。とても居心地のよい部屋になっています。
宮武先生 戦後食べるものもない貧しい時に、県民に文化をという内山岩太郎知事の熱意で実現した図書館とコンサートホールの複合建築です。日本では戦後初めて実現した本格的な音楽ホールです。
東郷さん しかし、控えめな表情だなあ。ぜんぜん気負ったところがない。
宮武先生 ロビーだけど、客席の勾配がそのままロビーの天井になっている、とても快適な空間になっています。
恵美ちゃん 静かな中庭に開いているので、明るくて気持ちいいですね。気負った所はないですね。自然体というのかなあ。
東郷さん 人造石研ぎだしの床が今でもそのままきれいに使われているんだ。
宮武先生 木造のとってもシンプルな内装だけど、音は最高という評判なんです。ホール全体が楽器のように柔らかい響きと言われています。これが前川さんが最初に設計した音楽ホールなんです。このあと、前川さんは沢山ホールの設計をやっていますけど、これが出発点です。
東郷さん たしかにモニュメントとしては物足りないけど、利用者には気持ちのいい建築だなあ。
宮武先生 つぎは世田谷区庁舎です。ここも目立つ建築ではありませんが、落ち着いて、区民のためにていねいに作られています。
宮武先生 ピロティを通して中庭へぬけられるようにできている。
恵美ちゃん この建築はモニュメントよりも中庭の方が主役みたいですね。
東郷さん そうなんだよ。明らかに前川さんはモニュメンタルな建築をつくるよりも中庭に力が入っている。
宮武先生 都市の中にこんなに広い中庭が広がっているのは、素晴らしいことですよね。これまでもこんな中庭は作られたことはなかったし、このあとも出来なかったんです。だからここはとっても貴重な中庭なんです。
恵美ちゃん たしかに、ちょっとパリの街みたいな雰囲気がありますね。
宮武先生 第一庁舎ですけど、力んだところがありませんねえ。
東郷さん モニュメントとしては物足りないけど、堅実に作られているというところだねえ。
東郷さん 真ん中に煙突がきて、建築としてあまりまとまっているとは言えないなあ。
宮武先生 つまり、前川さんにとって、大切なのは、区民にとって使いやすくて居心地のいい場所を作ることで、かっこいい建築をつくることではなかった、写真写りのいい建築をつくることに重点を置いていなかったことは確かでしょう。
宮武先生 これが世田谷区民会館です。鉄筋コンクリートの折板構造という珍しい作り方の多目的ホールです。1960年ころですが、少ない材料で効果的なホールをつくるにはとっても合理的な技術だったんです。
宮武先生 建築はすべて打ち放しコンクリートの仕上げなのに、中庭は2色のタイルを丁寧に貼り込んでいます。いかに中庭を大切に考えていたかよくわかります。
宮武先生 上野公園にある東京文化会館です。
恵美ちゃん これは前川さんにしては力強い建築ですね。すごく迫力があります。
宮武先生 前川事務所の中でもずば抜けて個性的だった大高正人が中心になってまとめたので、その影響はあるかもしれないなあ。
東郷さん めくれ上がった庇が全体をまとめているけど、これはル・コルビュジエのインドの作品の影響だよね。
宮武先生 力強いけど、どこが正面だか、よくわからない。気負わずにスルッと入れるんだけど、堂々とした入口ではない。
宮武先生 大きなロビーでしょ。
恵美ちゃん 天井が星空みたいです。
東郷さん 大ホールの壁は石垣みたいです。
恵美ちゃん ロビーなのに外みたいですね。
宮武先生 つまり、このロビーは一見、街のような感じだよね。
宮武先生 大ホールはとくに向井良吉がデザインした反射板が印象的です。
東郷さん このホールは一目見て上野だとわかる個性的な所だ。
恵美ちゃん ここは一番力が入ってますね。
東郷さん なんと言ってもここが前川さんの最高傑作だよなあ。
東郷さん 小ホールはコンクリートでまとめているけど、なかなか個性的で良いんだよなあ。
恵美ちゃん 大ホールはホット、小ホールはクールですね。対照的な印象です。
宮武先生 東京文化会館はスケールの大きな、前川さんの最高傑作といってもいい建築だと思います。
宮武先生 これが埼玉会館。右が大ホール、左が会議室棟、二つの建物の間からゆるい階段を入って行くとエントランスになる。
東郷さん ここが正面だぞ、ここが玄関だぞ、というインパクトがない。いかにも前川さんの建築だなあ。
宮武先生 一番の特徴は全体が打ち込みタイルの茶色で覆われていることなんです。このころからほぼ全部この打ち込みタイルスタイルになるんです。
宮武先生 もう一つ特徴的なのが「エスプラナード」と名付けられたタイル張りの広場なんです。ここは、集まる広場というより、通り抜けたり、佇んだり、動きを感じる広場なんです。
東郷さん 確かに、床のタイルが徹底的にデザインされているなあ。
宮武先生 大ホールがあまり目立たない。外観からはどれが大ホールかわからないほど控えめだけど、広場の方が強く印象的なんです。
東郷さん 大ホールはかなり地下に埋めてわざと目立たなくしているみたいだ。
宮武先生 表の広場(右)から裏の広場(左)へ連続しているのがわかるでしょう。
恵美ちゃん この建築は広場の方が主役みたいですね。
東郷さん これだけ力が入った建築なのに、かっこいいまとまった外観写真が撮りにくい建築なんだよなあ。どこが中心だか分からないんだ。
恵美ちゃん 角が丸くなってますね。全体が優しい印象になっているのはそのせいかしら。
東郷さん コーナーにはわざわざ丸いタイルを焼かせて丸さを表現しているんだ。すみずみまで心が籠っている感じがするなあ。
宮武先生 モニュメンの力強さよりも、使う人に対する優しさが優先しているということでしょう。
恵美ちゃん 立派なホールですね。
東郷さん ここでも、木で包み込むような優しさが追求されているよね。
宮武先生 ランチタイムコンサートというお昼時に1,000円で本格的なコンサートを定期的に開いていたり、地域密着の自主企画がよくあるんですよ。
恵美ちゃん それは羨ましいですね。利用者に愛されているのがよく分かります。
宮武先生 小ホールは随分雰囲気が違うでしょう。ここでは、古い映画の上映会などもやっています。
宮武先生 東京都美術館です。同じ上野公園の中にありますが、文化会館とは随分ちがいます。14年あとですが、向こうは自己主張のあるとても力強い建築でしたが、こちらは穏やかな、控えめな建築になっています。
恵美ちゃん 晩年の静かな境地でしょうか。
東郷さん 物足りないと思う人もいるけど、これが本来の前川さんらしい建築になってきたというべきなんだろうなあ。近代建築を西洋の借り物ではなく、日本の風土に着地させたというのかなあ。
宮武先生 入口は1階分下がったところ、つまり全体を地下に沈めたということなんです。
恵美ちゃん つまり、地上に高く聳えるのではなく、控えめに静かにたたずんでいるという感じでしょうか。
宮武先生 この建築が出来る前に建っていたのは、岡田信一郎設計の美術館だったんですが、広い堂々とした階段を登って行く昔の建築だったんです。前川さんはその反対に下へ降りて行く入口を作ったというわけです。
宮武先生 大きな彫刻作品などを展示するための大きな室です。エントランスよりさらに地下に沈めています。
宮武先生 埼玉県立歴史と民俗の博物館です。
恵美ちゃん ずいぶん広い前庭ですね。
東郷さん 前庭というか、中庭というか、入口につくまですごく長くかんじるよね。
宮武先生 広いエントランスからこのメインの展示場まで大きな天井が続いているでしょ。この博物館の見せ場がよく分かりますね。
恵美ちゃん ただ展示室が次から次へと続いている博物館とはまったく違いますね。
東郷さん 中庭から、ここまで、ぐいぐいと引っ張って来られた感じだなあ。
宮武先生 熊本県立美術館は前川さんの最後の傑作といわれているけど、やはり、表現は控えめです。打ち込みタイルの壁と広場がいかにも前川さんらしいですね。
恵美ちゃん 控えめで、どこに美術館があるのか分からないほどですね。
東郷さん 熊本城公園の熊本城と反対側にあるんだけど、茂みの中に隠れるようにして建っています。入口もぐるっと回り込まないと見えてこない。
宮武先生 しかし、一歩中へ入ると、すごい空間でしょ。
恵美ちゃん あっと驚くような大空間ですね。柱のない大きな天井が広がっていますね。
東郷さん 埼玉県の博物館とよく似ているなあ。空間の広がり、力強さ、建築空間の完成度、甲乙つけがたいものがあるなあ。
宮武先生 最晩年の穏やかな作品です。
恵美ちゃん タイルの色がすこし黄緑色になってますます穏やかな表情ですね。
宮武先生 これはぼくが作った前川時計という図表です。前川さんの一生と代表作を対応させたグラフなんです。
恵美ちゃん これは面白いですね。自邸から右回りに白い作品から次第にレンガ色に変わってゆきますね。
東郷さん 50代の力のみなぎったものから、60代の円熟したもの、70代の穏やかなものまで一目で変遷が分かりますね。
宮武先生 前川さんの建築をいろいろ見てきましたが、やはり、丹下さんを代表者とする日本の近代美術館のシンボル中心主義というかモニュメント主義とまったく違う、利用者のために作るという考え方が一貫しているんです。
東郷さん うん。アンチ・モニュメント主義。確信犯だよ。前川さんの建築は写真では分からない。丹下を中心とする価値観では絶対に理解できないものだ。
恵美ちゃん 藤森さんが前川さんは分からないというのも当然なんですね。
東郷さん それと、前川さんのことを書くのは俺の専売特許という感じで独り占めしてきた宮内嘉久という人の責任も大きいと思うなあ。ひたすら悲壮感ただよう戦う建築家というイメージで書き続けてきたからなあ。間違ったイメージが定着してしまった。あれが前川さんの本当の姿をゆがめてしまったんだよ。
宮武先生 そうですねえ、前川さんが作った実際の建築に即して前川さんを見ていきたいですね。前川さんの建築は公共建築が多いから、見やすいのがいいねえ。
恵美ちゃん きょうは、前川さんがとってもヒューマンな魅力ある建築家だということが分かりました。これからももっともっと見ていこうと思います。