「ごめんなさい。この建物どこが正面だかぜんぜん分からなくて、迷子になっちゃったの。」恵美ちゃんが息せき切ってかけつけた。新宿西口の京王プラザホテル3階のロビーでは、宮武先生と東郷さんが待っていた。
「すまなかったね。たしかにここは分かりにくいね。玄関が3階の駅側と都庁側の両方にあるし、2階にも入口が2つある。そしてロビーが3階だ。これじゃ迷っても不思議じゃない。」
「先生、最近、建築の正面玄関が分かりにくくて、迷うことが多いんですけど。」
「そうですね。はっきりした正面玄関というのは、近代建築にはつくりにくいのかもしれませんね。」
「なにしろ近代建築は、幾何学的な形態、立方体を理想としてきたからね。」建築家の東郷さんが持論を展開しはじめた。
「きょうは、このホテルの喫茶店でお話をすることになっているんですよね。“樹林”というおしゃれなコーヒーハウスがあるんです。」先生は二人を2階のはじにある樹林へ案内した。一面が大きなガラス窓になっていて、木の間ごしに光があふれるあかるい部屋だった。飲み物が配られると先生が話し始めた。
「このガラス窓ごしに見える雑木林がきれいでしょう。都心にさわやかな雑木林というのがちょっと不思議でしょ。じつはこの「樹林」の外側の庭は深谷光軌という異端の造園家が設計した傑作なんですよ。」
「わあ、素敵!まるで軽井沢か清里のようだわ。」
「だれでも通れるオープンな庭なのに、奥深い日本庭園のような落ち着いた深い味わいがあるんです。」
「えーと、ところで、東京の近代建築をいろいろ見てきたので、今日は自由なテーマで近代建築について話し合う事になっていました。いま近代建築の玄関の話がでましたので、その話題から入りましょうか。」
「それはうれしいです。先日も、東京オペラシティでお友達と待ち合わせして、正面玄関がどこだかわからなくて、なかなか会えなかったんです。」
「それは大変でしたね。最近の建築は入口が分かりにくいかもしれません。昔の建築は、はっきりした正面があって、わかりやすい玄関がありました。お寺や神社は正面がはっきりしています。歴史的にいうと、安土桃山のころから唐破風という玄関を強調する派手な庇ができて、なおさら玄関つまりメインエントランスが強調されました。」宮武先生の解説は歴史的だ。
「それ、銭湯の正面にあったのを覚えています。」夢中でケーキと格闘していた恵美ちゃんが突然叫んだ。
「そうですね。唐破風は安土桃山から江戸時代にかけて急速に発達した形式なんです。西本願寺にも有名な唐破風の門がありますが、一番有名なのは、日光東照宮ですね。これは徳川家康を祀った廟ですから、技巧をこらして家康の権威を表現するために作られたものですね。そのために日光東照宮は肝心の廟をさしおいて、門が一番注目を集めちゃいましたね。ここでは権威を表現するために唐破風が使われているわけです。面白い例があるんです。奈良の大仏殿には正面の中央に小さな唐破風がついているんですけど、覚えてますか。あれは江戸時代の再建のときにつけたものなんです。もとの天平の建築(758年)にも、1190年に再建されたものにもなかったものなんです。元禄時代の三度目の大仏殿(1691年)にはじめて唐破風が登場したのです。唐破風は江戸時代にどんどん普及して、いまでは、全国のお寺や神社にかぎりなく見られます。」
「それが銭湯にまで行き着いたというわけですね。」
「銭湯ばかりではありません。御神輿、山車には決まってついているし、自動車について、にぎやかな霊柩車になりました。さすがに最近は唐破風のないおとなしい霊柩車が増えてきましたけどね。」
「唐破風はもちろん、正面性のデザインは権威・権力の表現として使われることが多いと思うよ。」東郷さんの論理は独断的だが明快だ。
「でも、そればかりじゃないと思います。はっきりした正面はいわば建築の顔じゃないかと思うんです。東京駅も丸の内の赤煉瓦の建築ははっきりした顔がありますけど、八重洲口は顔がなくて入口がどこだかなかなか分かりません。JR中央線の国立駅も昔はみんなから愛されたすてきな駅舎だったんです。あれは駅が街の顔になっていました。昔の駅はどこをとってもわかりやすかったと思います。神社やお寺はもちろん、学校でも役場でもそうだったと思います。」
「近代になって、大げさな玄関は、不要な機能としてみんな捨ててしまったのだ。あれは、権力や財力を見せつけるには格好の道具だけど、市民にはいらないものだからね。国会議事堂がテレビに写って堂々としているのは、左右対称で、中央に段々になった塔が迫り上がって、立派な車寄せがあるという強い正面性のためなんだ。まさに権威・権力の象徴なんだよ。」東郷さんの論理はますます冴えていく。
「そういう面もあるかもしれませんけど、玄関があると建物に表情があって、建物と対話するような親しみを感じるんじゃないかしら。お寺では正面がはっきりしているから、お参りする気にもなるけど、正面がないとお参りもできません。」
「そうですね。昔の建築には正面、つまり顔があったといえるかもしれませんね。パリにオペラ座という有名な建築があるんです。これはシャルル・ガルニエという建築家が設計したのですが、堂々とした見事な正面玄関があるんです。この人はアカデミー・ボーザールを代表する建築家だったのです。コルビュジエはこういうものを王侯貴族の華美な建築として退けたわけですが、パリ市民からは大変慕われている人気のある建築なんです。」
「オペラ座は分かりやすいです。今の人が近代建築に興味を持てない理由は、きっと近代建築に顔がないせいですわ。コルビュジエの西洋美術館だって、正面はわかりますけど、どこが玄関だかわかりません。なんとなく軒先からすーッと入ってしまうから、これから入るぞッていう緊張感や高揚感が全然ないんです。それがなんだかものたりない気がしました。表慶館や東博の本館にはそれがあります。」
「そうですね。コルビュジエの代表作のユニテにしてもロンシャンの教会にしても、どこが正面かわからないし、玄関なんてないですね。どこから入るかまるっきりわからない建築です。」
「まるで独立した彫刻がポンと置いてあるみたいな建築です。」
「そうですね。近代建築の特徴ですね。とくにオフィスビルになるとなおさら、ただの立方体になって、正面がなくなりますね。でもね、現代の建築でも顔のある建築はあるんですよ。」
「あっ、たぶん、それは東京都庁舎じゃないですか?」ケーキの最後のかけらを口にいれながら恵美ちゃんが答えた。
「そうですね、あれは、かなり意識的に正面性を追求していますね。左右に2本のタワーがあるし、中心を強調したデザインですね。東京都の象徴だし、ある種権威を追求しているともいえると思います。あれができたのはポストモダンの流行していた時でした。新宿の西口にはたくさん超高層ビルができましたけど、正面のあるビルは都庁舎くらいかもしれませんね。」
「都庁舎はやはり日本の首都東京のシンボルだという気負いがあるんだろうね。ほかのビルは民間のものだから、権威なんか必要ないんだ。」
「民間のビルでも面白い例があるんですよ。六本木ヒルズなんですが、遠くから見るとよく分かりますが、あれはマジンガーZをお手本にしてデザインされているんですよ。アメリカのKPFという建築家のグループにデザインを依頼したんですが、かれらは子どものとき、日本からきた超合金のマジンガーZで遊んだ記憶があって、日本から依頼された仕事だからぜひマジンガーZをそこに実現したいと思ったんだ。つまり日本から輸出されたマジンガーZが、里帰りしたものなんだ。だからあのビルには恵美ちゃんのいうとおり、はっきりした顔があるんです。現代の超高層ビルにしては、非常にめずらしいビルなんですよ。」
「あっそうだったんですか。言われてみるとたしかにそんな感じがします。」
「ただ残念なのは、そんな顔が見えるのはかなり離れた場所だけで、ビルの下へ来てみるとやはりとっても入口がわかりにくいんだ。」
「先日、根津美術館へ行ったとき、六本木ヒルズが正面に見えたので、驚きました。あの方角が正面なんですね。」
「そうなんですよ。マジンガーZは表参道を見ているんです。まるで表参道へ向かって歩いてくるようです。ああいう市民の共有できるイメージを埋め込んだ建築は分かりやすいし、シンボルとしてはすごい存在感を感じますね。」
「そこへ行くと、東京ミッドタウンはまるで、他のビルと区別がつかないねえ。この差は大きいぞ。」
「ついでに言っておきたいんですけど、超高層ビルで個性的なのは、代々木のNTTドコモのビルなんです。上の方が段になっていて、先端が尖っているから他の超高層ビルとはシルエットがまったく違うんです。だからかなり遠方からでもよく見える、目印になる。ランドマークとして有効なんです。」
「ただちょっと気になるのは、ニューヨークのクライスラービルと似ていることだね。おれにはあれがデザインソースように見える。」
「でもドコモのビルはアンテナを取り付けるために段を作ったので、段のデザインには必然性があると説明しています。」
ケーキを食べ終わった恵美ちゃんがここで論戦に加わった。
「さっき、唐破風が江戸時代に急速に普及したとおっしゃいましたが、江戸時代の建築はみんな正面性が、つまり顔があったんですか。」
「じつは、そこが問題なんです。日光東照宮は江戸の初期にできたんですけど、同じ頃に桂離宮と修学院離宮ができているんです。日光東照宮は思いっきり派手な唐破風がありますけど、桂離宮には玄関の印象がうすいでしょう。」
「あっ、そうか。日光東照宮は三代将軍家光が作ったけど、たしか桂離宮は天皇の親族、修学院離宮は後水尾天皇自身が作ったんでしたね。」
「おーっ、恵美ちゃんよく知ってますね。そうなんですよ。だから、日光は権力を握っていた幕府が権力を誇示するデザインになったけど、桂離宮は権力を奪われた朝廷の立場を表してさらっとしたデザインになっているんですね。」
「昭和のはじめに来日したブルーノ・タウトが桂離宮を絶賛して、日光東照宮をけなしたのは有名ですけど、こんな視点から見てもその差はよくわかりますね。」
「そうなんだ、桂離宮は数寄屋建築の傑作だけど、数寄屋建築の代表の茶室を見るともっとその性格がよく分かると思うよ。茶室は躙り口という小さな入口から入るけど、まさに玄関の権威を否定したデザインだね。利休はあのデザインで武士の権力と対峙したんだ。」
「そうですね。たしかに、茶室は近代建築に通じるところがありますね。」
「西洋建築では、ギリシャ神殿がまず正面性がはっきりしていますが、外観は4面ともあまり違わない。正面ははっきりとあるんですが、外観に表現されていません。正面がはっきり建築として表現されるのは、ロマネスク、ゴシックの時代でしょう。教会堂は必ず西向きにつくられます。そして正面がはっきりとデザインされる。これがもっとはっきりと主張されるのがバロックの時代です。シンメトリーの建築の中心線が都市の軸線となって強い力を発揮する、絶対的な権力をもった王様の力を誇示するデザインだったのです。バチカンのサン・ピエトロ寺院がよい例です。」
「もう一つ大事なことは、正面性の強い建築は独裁国家が好んで採用していることです。スターリン時代のソ連の建築がよい例です。逆にいえば、近代建築には民主主義の建築という側面があるんです。」
「コルビュジエはアカデミーと戦って、近代建築を確立していきますが、そこには、近代の技術の表現という側面と同時に民主主義の時代の表現という側面があることを見逃してはならないと思います。」