「おお!できたねえ。前の建築とそっくりだ。」と建築家の東郷さん。
「よかったわ。どこか変えられちゃうんじゃないかと心配してたんです。」恵美ちゃんはさっそく自慢のミラーレスカメラを取り出している。
「前の建築をどこまで復元するのか、それを確かめたかったんだけど、建築家隈研吾はあっさり前作を踏襲したみたいだなあ。」
「復元という感じですねえ。」と恵美ちゃん。
すると宮武先生が割って入った。
「ちょっと待った。今日、ぼくは二枚の写真を持ってきました。これを見てください。」とカバンから古い写真を取り出した。
「えーっ!これ、似てますけど、ちょっと違いますね。両方とも歌舞伎座ですか?」恵美ちゃんが撮影の手を止めて覗きこんだ。
「そうなんですよ。古い方が、1924年(大正13)岡田信一郎が設計してできたもの。もう一枚は、それが戦災で半壊したのを戦後、1950年(昭和25)吉田五十八が設計して再建したものなんです。」
「岡田信一郎といえば、お堀端の明治生命館を設計した人ではありませんか?」
「そうなんです。様式建築の最高傑作と言われる明治生命館と純和風の歌舞伎座の両方を設計したんです。」
「驚いたなあ。すごい人ですねえ。」
「吉田さんのは、よく見ると、真ん中の大きな三角の屋根がありませんね。」
「そうなんですよ。吉田五十八は中央の大きな三角屋根の千鳥破風っていうんだけど、それをとってしまったんです。」
「うーん。吉田五十八は和風建築の簡素化を自分の使命と考えていたからねえ。」と東郷さんがウンチクを傾ける。
「すると、今回の復元は岡田さんではなく吉田さんの歌舞伎座を復元したことになりますね。」
「やっぱり。熊さんと八つぁんは仲良しだからなあ」東郷さんが独り言のようにつぶやく。
「えー。なんですか。」恵美さんがカメラの手を止めて振り返った。
「いや。なんでもない。」吉田五十八は親しみを込めて八つぁんと呼ばれていた。建築界での評価は芳しくなかったが、画家、俳優など文化人には圧倒的な人気があった。岩波書店の創業者岩波茂雄の熱海の別邸は名建築惜櫟荘(せきれきそう)としての評価が高いが、岩波では維持しきれず、売れっ子の時代小説作家・佐伯泰英の手に渡り、佐伯は、個人資産をつぎ込んで修復・保存に情熱を傾けている。東郷さんの頭にはこんな思いが駆け巡ったが、口にはせず飲み込んだ。
「はじめは、隈さんはもっと簡素なデザインを提案していたような気がしますが、世論に押されて、建築家の意地をすてて正確な復元を選んだみたいだね。やっぱり大先輩には歯が立たなかったわけだ。」
「歌舞伎ファンのこの建築に対する愛着は大きいからね。特に玄関の巨大な唐破風(からはふ)の存在感は圧倒的だもんなあ。」
「やっぱり、唐破風ですか。」
「やっぱり、唐破風ですね。」3人は大きくため息をついた。
「歌舞伎とくれば、唐破風。と思いきや、このすぐ目の前にある新橋演舞場は、やはり松竹が歌舞伎の興行をする劇場だけど、まるでちがうんですよ。近いからちょっと行ってみましょう。」
3人は新橋演舞場を目指して歩きだした。すると目の前に新橋演舞場と書かれた普通のビルが見えてきた。
反対側に回り込むとそこが演舞場のエントランスだった。
「あら、ここはずいぶんシンプルですね。」
「そうなんだ。このビルは日産自動車の本社ビルと新橋演舞場を合体して作られたものなんだ。日産自動車は今は横浜へ移ったけど。」
「きれいなタイルを張ったりして劇場らしくしようとしてるみたいですけど、なんか物足りないですね。」
「そりゃそうだ。歌舞伎座とは比較にならない。こちらは、あくまでもモダニズムでまとめあげたものだ。」
「近代建築には顔がないというお話を以前にうかがいましたが、ここでも顔を作るために相当苦労していますねえ。」
「まさか、ここに唐破風をつけるわけにはいかないからなあ。」
「この建築家はあくまでも、近代建築の筋を通そうとしたわけですね。」
「そのとおり、これはあくまでも近代建築なんだ。」
「ここから晴海通りをまっすぐに行くとお濠端に帝国劇場があるので、歩きましょうか。」
「このあたりには劇場が沢山あるんですねえ。」
「帝国劇場は東宝が運営する西洋演劇の劇場です。昔は歌舞伎をやったこともありましたけど、今はレ・ミゼラブルなどの洋もの中心なんです。」
「看板がなければ、普通のオフィスビルみたいですね。」
「外観に劇場の建築的な表現はないねえ。」
「1966年に谷口吉郎の設計でできたものです。金沢出身の谷口さんらしいなんとなく和風の気配が漂う端正なたたずまいで評判になったものなんです。」
「劇場の入口としては随分地味ですねえ。」
「あくまでも近代建築として作られています。特別な劇場のエントランスは作られていないですね。」
「これでは劇場に来たという気持の昂揚感はないと思いますけど。」
「そこが近代建築のつらいところなんだ。」と東郷さんは押され気味。
「この先に、三宅坂の国立劇場があるから、お濠沿いにもう少し歩いてみましょうか。」と宮武先生は先頭にたってお壕端を歩きはじめる。お濠の景観のもっとも美しいところだ。
「桜田門か。この辺りが、井伊直弼が水戸浪士に襲われた”桜田門外の変”の現場だよね。」
「そうです、桜田門外の変の現場、向こうに見える警視庁が井伊直弼の彦根藩邸の跡です。」
「やっと着きました。国立劇場。大きなコンペティションの対象になったので建築家には忘れ難い建築なんです。」
「あら、黒くて、なんだか地味だわ。」
「うん。ここは、国が日本の伝統的な演劇、つまり歌舞伎、能、文楽などを上演、保存のために作ったものなんだ。」
「そういえば、かねり日本的な感じがするわね。」
「1963年にコンペが行なわれて、正倉院の校倉造りのデザインを使った岩元博行(竹中工務店)の案が入選したんです。日本の伝統を表現しながら、近代建築をつくるという難しい課題に応えたというわけなんです。」
「唐破風のような装飾に頼らずに、伝統芸能の殿堂をあくまでも近代建築として造ったところが、高く評価されたわけだよ。」
「唐破風は安土桃山時代だから、正倉院ならいっきに800年も遡っちゃったわけですね。歌舞伎座は庶民的な感じですが、こちらはなんだかよそよそしい感じだわ。」
「鉄筋コンクリートなのに、木造のデザインをかなりストレートに使っています。この辺りを見るといかにも和風っぽいと思いませんか。」
「そうだな。改めて見ると、軒裏の垂木、壁のコーナーの扱い、コンクリートの建築にはいらないものなんだよな。和風の表現のためにわざわざ作っているわけだ。今見るとかなりあざといデザインだなあ。」
「ふーん。ここまで正倉院でやったのならどうして屋根を乗せなかったのかしら?」と恵美ちゃんの鋭いつっこみ。
「おい、おい、これに屋根を乗せたら、まったく正倉院のコピーになっちゃうじゃないか。屋根を乗せないからかろうじて近代建築にとどまっているというわけだよ。」と建築家東郷さんの防戦。
「あーら、またまた屋根問題だわ。でも、屋根がないのに軒裏の垂木があるのは変じゃないですか?」とまたまた鋭いつっこみ。
「そこが悩ましいところなんだよ。伝統芸能の殿堂として要求された表現を近代の技法で実現した。ぎりぎりのせめぎ合いなんだよ。」東郷さん必死で防戦するも旗色悪し。
「でも、正倉院なら伝統芸能の”保存”というコンセプトには相応しいかもしれないわ。」恵美ちゃんがみごとにまとめてくれた。
「最後に千駄ヶ谷の国立能楽堂を見ておこうか。」
「ここはずいぶん日本的ですね。屋根がいくつもあるわ。」
「屋根があるから和風かと思うと、意外とそうでもない。全体が鉄筋コンクリート造だし、どこにも木造的な意匠が見えないんだよ。」
「そういえば、千鳥破風も唐破風もありませんね。」
「うん。歌舞伎には唐破風がよく似合ったけど、どういうわけか、能には唐破風は似合わない。」
「そこが大切なところなんです。それは市民も建築家も共有しているイメージなんですよ。」
「能楽堂とくると大江宏と決まったようなもんだ。大江宏も施主の期待に応えて和風っぽい屋根を架けてみせた。しかし、全体は決して和風ではない。玄関の両 脇は荒っぽい石積みだし、脇へ回ってみると、打ち放しのコンクリートの壁や柱が露出している。あくまでも近代の建築家として意地を通そうとしたわけだ。」
「なんだか、ややこしい問題だわね。」
「実は、私、大阪の出身なんです。」
千駄ヶ谷駅前、槙文彦が設計した津田塾大学の角のドイツ料理のレストランに入ると恵美ちゃんが切り出した。
「私、高卒まで大阪にいたので、大阪の歌舞伎座をよく覚えているんですが、とっても不思議な建築だったんです。こんどご案内しますから、いっしょに大阪へいきませんか。おいしいタコ焼きをごちそうしますから。」
「おお、いいねえ。ぜひ、いこうじゃないか。」ドイツビールのジョッキを傾けながら、唐破風を巡って三人の話はつきなかった。
こうして、三人の大阪行きが決まった。
一週間後、三人は新幹線、新大阪から一路地下鉄御堂筋線に乗り換えて難波(なんば)に降り立った。3番出口を出るとなんと目の前に異様なビルが建っていた。
「おお、これが村野藤吾の新歌舞伎座か。写真では見ていたけど、実物ははじめてなんだ。すごいなあ。」
「私は子どものころから見ていたんですけど、不思議なものとしか思わなかったのです。こんど久しぶりに見てすごいショックを受けました。」
「おれも、ショックだよ。」
「これは、唐破風だったんですね。今日、初めてわかりました。」
「唐破風には違いないけど、横に9個並べて上下に4段重ねる、こんなデザイン前代未聞だなあ。」
恵美ちゃんと東郷さんの会話を聞いていた宮武先生が口を開いた。
「歌舞伎の劇場を依頼されて、村野さんはやはり唐破風しかないと考えたのでしょう。しかし、まともな唐破風では東京にかなわない、そこで、考え抜いた末に到達したデザインがこれなんですね。しかし、こんな突拍子もない着想をまとめあげたのが村野藤吾のデザイン力なんです。」
「うーん。唐破風のかたち、手すりの組み合わせ、見事ですねえ。」
「こんなに沢山、唐破風があったなんて、まったく知らなかったわ。」
「上に乗っている千鳥破風が全体をみごとに引き締めている。」
「唐破風の力を改めて見せつけられました。」
「唐破風を使うのは、近代建築としては禁じ手だと思うけど、やってしまった。しかし、ギリギリ近代建築として成り立っている。すごいことだよ。」東郷さんはすっかり感動している。
「唐破風の棟飾りはオリジナルのデザインだけど、見事にきまったいます。」
「リボンのような飾りがかわいいですね。」
「稚児髷(ちごまげ)という子どもの髪型を取り入れているんです。」
「千鳥破風の上にもユニークなデザインの飾りがありますねえ。」
「暫(しばらく)という隈取りをヒントにして彫刻家の辻晋堂が製作した鬼瓦なんです。」
「この劇場はあまり使われないままに、経営者の交代などで閉鎖されたんですって。今は取り壊しを待っているそうですよ。」
「なんと馬鹿な。これだけ見事な建築をこのまま壊すなんて信じられないよ。いくらでも活用方法はあるだろうに。」
「歌舞伎座は他に作ってしまったので、これはもういらないそうです。」
「えーっ。それじゃ、その新しい歌舞伎座を見に行こうじゃないか。」
「地下鉄で2駅なのでこれから行きましょう。」恵美ちゃんは大阪に来て水を得た魚のようだ。
「これが新歌舞伎座の切符売り場です。」
「えー。なんだよ。この軒下のみじめなざまは。で、劇場の入口はいったいどこにあるの?」
「それは、後ろのビルです。」
「なんだ、なんだ、ビルの中だって?」
「そうです。エレベーターで6階へあがるんです。」
「このビルの6階が新歌舞伎座なんです。」
「あの、黒く見えるところかい? へー、ただのビルじゃないか。建築家は歌舞伎座の表現を完全に放棄したわけだ。建築主が建築家にそれを求めなかったのかなあ。それにしても、ひどいもんだなあ。」
「伝統芸能の建築的表現を完全に放棄した近代建築の姿ですねえ。」
「そんな努力がまったく感じられないのが悲しいなあ。」
「劇場は都市の花だと思うんですけど。」
「そうだよ。これでは、都市はのっぺらぼうになっちゃうよ。」
「うーん。近代建築では無理なのかなあ。」
「では、つぎに地下鉄を一つもどって国立文楽劇場へ行きましょうか。」
「はい、ここが国立文楽劇場です。」
「文楽は、とくに大阪では盛んだから、ここに国立の劇場ができたわけだね。」
「文楽のほかに人形浄瑠璃や落語なども上演されているみたいです。黒川紀章の設計ですね。全体は近代建築なんですが、要所に伝統的なデザインを配して文楽劇場らしさを表現しているわけです。」
「たしかに、唐破風の形をデフォルメして記号のように付けていますね。」
「そうだね、全体のデザインには影響しない、帽子につけた徽章みたいなもんだなあ。」
「そうなんです。これは新しい手法ですね。近代建築の姿勢を守りながら、伝統的意匠の記号をつけて身分証明を表現しているわけです。」
「たしかに、記号をとってしまうと、完全な近代建築だ。」
「ここが、正面の入口ですね。」
「あれー。唇みたい。」
「いや、これはやっぱり唐破風の記号だよ。上につけた唐破風くずしの記号をここに繰り返して和風を強調しているんだよ。」
「一つの方法ですねえ。」
「チョットテーマからずれるかもしれませんけど、この近くに吉本興業の”なんばグランド花月”があるんですけど。」
「いこう、いこう。」東郷さんがうれしそうだ。
「ここが、吉本興業のメインの劇場なんばグランド花月です。」
「おやー。ここにも唐破風があるじゃないか。」
「ほんとだ、あるねえ。やっぱり、唐破風は必要なんだ。」
「すごい発見だねえ。」
「うん、大発見だ。」
「芝居には、唐破風!!」
「はい、次は心斎橋よ。」
ついに三人は心斎橋までたどりついた。
「はい、東郷さん、たこ焼き、6個入りどうぞ。」
「おー。あっちっち。熱い。ふー。だけどうまいねえ。タコが大きくて新鮮だ。これはいい。」
「たしかに、タコ焼きは大阪にかぎる。」
「ところで、この建築はなんだ。大阪松竹座だって?」
「心斎橋のすぐそばにこんな劇場があったのは知らなかったなあ。」
「すごいなあ。えー。ここでも歌舞伎をやってるの?」
「はじめは映画館だったんですけど。いまは前だけ残して内部を劇場に改造したみたいです。」
「ふーん。いいものが残っているねえ。大阪を見直したぞ。」
「設計したのは、大林組の建築家・木村得三郎という人なんです。」
「ふーん。大阪のゼネコンには腕の立つ人がいたんだ。」東郷さんが最後のたこ焼きをほおばりながら締めくくった。
「今日は、時間があるので、京都まで行こうと思います。」
「よし、行こう。」
四条河原町を降り立った3人は、四条大橋までやってきた。
「おー、なにか大きな瓦屋根が見えてきたぞ。」
「あれが、松竹が経営する京都の歌舞伎座、南座です。」
「大きな、鉄筋コンクリート製の和風建築だなあ。」
「おおー。やはり千鳥破風と唐破風がある。」
「全体は近代的なビルなんですけど、江戸の雰囲気を濃厚に漂わせていますね。」
「歌舞伎の興行中に幟(のぼり)が何本も下がるとっても雰囲気が盛り上がるんですよ。」
「やはり千鳥破風、唐破風、欄干の組み合わせで江戸の雰囲気を十分に表現していますね。唐破風のデザイン力はすごいものですね。」
「そうだなあ。ためらわずに伝統的なデザインを取り入れて、しかも破綻なくまとまっている。」
「毎年、年末になると、吉例顔見世興行があって、京都の人たちは楽しみにしているんです」
「うーん、これは華やかだなあ」
「伝統的要素が近代建築を圧倒している。」
「それがさらに周囲の商店街を圧倒していますねえ。」
「うん、ものすごい存在感だ。」
「では、これから、祇園に入っていきます。」
「おーっ。いいね。あ。舞妓さんだ。」
「ここが祇園甲部歌舞練場です。都をどりの会場です。」
「わーっ。ここは千鳥破風と唐破風のオンパレードだ。」
「さすがに重厚な唐破風ですね。」
「これが弥栄会館です。京舞、琴、雅楽など舞子さんの芸を鑑賞できるところなんですよ。」
「なんとも不思議な建築だなあ。」
「じつはこれも木村得三郎の設計なんです。」
「えーっ。心斎橋の大阪松竹座と同じ設計者なの?」
「そうなんです。この人は東京美術学校、いまの東京芸大を出た人で、デザインは得意だったようですね。」
「鉄筋コンクリートの建築に屋根をいくつも乗せて、なんとも不思議な建築だなあ。」
「あーっ。真ん中にかわいい唐破風があります。」
「先日は東京で、今日は、大阪と京都で、歌舞伎を中心にいろんな劇場建築を見てきましたけど、どうだった?」先斗町の居酒屋に座ると、宮武先生がまずきりだした。
「恵美ちゃん、大阪と京都の案内、ありがとう。大阪と京都もおもしろかったですね。」と先生が杯をあげた。
「歌舞伎座といっても、いろんな劇場があるのにびっくりしました。とっても面白かったです。」恵美ちゃんはまだ興奮ぎみだ。
「近代建築が伝統芸能の殿堂をどう表現するか。建築家としての姿勢と要求される表現とのギャップにいろいろ苦しんできたのがよく分かったねえ。」
「それにお客様の期待に応えることも大切な要素だと思いました。」
「そうですね。そこで、大きな役割を果たしていたのが、唐破風、千鳥破風、欄干でしたね。とくに唐破風の力は圧倒的でした。」
「唐破風なんて、建築史に出てくるだけだと思っていたけど、どっこいまだ生きていたんだ。それは、正直驚いたよ。」
「そうですね。唐破風はとくにお客様と劇場を結びつける役割を担ったいますね。劇場建築の顔を作るうえで非常に効果的に使われていましたねえ。」
「劇場は特殊な建築だけど、問題は他の建築にも共通しているはずだと思うよ。それほど、先鋭に出てこないだけだと思うんだ。」
「私のテーマからいうと、近代建築と市民を考えるのに絶好の題材のような気がしました。」
「そうだね、伝統と近代、近代建築と市民、建築の顔、内容と表現、いずれも、近代建築に課せられた、重要なテーマだと思います。」
こうして先斗町の夜はふけていった。