「歩道橋の上が集合場所だなんて驚きました。」恵美ちゃんは白いジーパンに白いセータ、細い首から下げたソニーのミラーレス・カメラが輝いている。
「ここいい場所だろ?旧山手通り沿いに並んだ代官山ヒルサイドテラスを一望できるんだ。」東郷さんは上から下まで紺色のデニムだ。
「私は、代官山はときどき来るんですけど、どうしても裏の露地へ行っちゃうんですよ。ヒルサイドテラスは神話の世界みたいで、なんだか敷居が高いんです。」
「俺たちにとっては、ヒルサイドは白い幾何学、輝ける聖地だなあ。近代建築のお手本みたいな存在だったんだ。」と東郷さん。
「ヒルサイドテラスの第一期が出来たのが、1969年大阪万博の前年でした。安保の嵐が収まって安定した経済成長の大波が押し寄せてくる直前だったんです。」宮武先生がメモを見ながら説明を始めた。「その後、1992年の第6期まで23年間作り続け、さらにウエストが98年にできたものなんです。70年代と80年代という日本の急速な発展拡大の時代とともに歩んだといっていいと思います。今はその建設が終わって15年たったというわけです。」
「そうか、そろそろ50年になるんだ。その間に代官山は大きく変わったなあ。」東郷さんがしみじみと語った。
「その頃はもっと静かだったのでしょうね。」
「うん。まわりには何もなかったんだ。一番手前の第1期A棟・B棟が出来た時にはあまりにもモダンだったので、2階3階のアパートは1年間入居者がなかったそうだ。」
「いったいどんな人たちが作ったのですか?」
「このあたりは朝倉家という大地主が土地を持っていたんだ。きっかけは何気ないアパートの設計をアメリカ帰りの建築家に依頼したことなんだ。それが槇文彦さん。朝倉さんは出会ってひとこと話をしただけで、すっかり槙さんに傾倒して何も注文をつけずに全部まかしてしまったんだ。」
「普通、建築家とオーナーの関係はそうなんですか?」
「いや、いや、普通は建築家はガチガチに緊張して施主のいうことを聞くことが多い。丹下さんや菊竹さんですら、腰を90度折り曲げて最敬礼したのは有名な話だよ。」
「デザインは少しずつ変化しているようですけど、建築家は変わらなかったのですか?」
「そうなんだ。始めから終わりまで槇さん。しかも、建物の使い方まで槇さんは厳しく口を出して、看板も一切禁じたんだ。」
「そういうことはよくあるのですか?」
「いや、普通は建築が終わると、建築家は口を出さない。」
「よっぽど信頼されていたんですね。」
「看板も旗もないので、私は、寂しく感じるんですけど。」
「このシンプルな雰囲気を維持するためには、建築家とオーナーとさらに入居者が協力して、大変な努力をしてきたのです。」
「この建築の特徴というか見所を教えてください。」
「うん。まずこの角のけやきを植えた広場、それから自然に入るロビー、少し階段を降りて短いけれどショッピングモール、そして中庭。小さいけど、建築と都市が入り組んで、魅力的な場所を作り出しているんだ。」
「たしかに、余裕というか贅沢な空間ですね。」
「槇さんは始めからアメリカというか、世界標準の建築を持ち込んだわけだ。」
「ここは建物が途切れています。」
「じつは、この下に音楽ホールがあるんだ。」
「向こうに森と瓦屋根が見えるでしょう。あれが朝倉家の住宅だったんだよ。税金を収めることができなくて、国に物納してしまったんだ。いまは公開されて見学できるんだ。広大な屋敷だよ。」
「ここからが、第2期です。中庭を囲んで少し雰囲気が違うでしょう。」
「いままで真っ白だったのに、ここは床に色が出てきました。」
「そうなんだ。デザイナーや建築家が事務所を構えるようになって、彼らがここを中心に文化活動を始めたんだ。それでデザイナーの粟津潔がサイン計画や床のデザインに参加していったんだ。」
「この床の模様が粟津さんのデザインですか。露地が建築の中に入っていく感じですね。このあたり、私には少し気取りすぎているような感じがするんですけど。」
「若い人にはとっつきにくいかもしれないね。」
「自分たちが文化を発信してゆくという強い意志を持った人たちがここに住んだり、店を出したりしている。大人の街だね。」
「ここから見ると、コルビュジエを感じるなあ。」
「コンクリートの時代ですね。」
「近代建築の初々しい、初心を見ているような気がするんだ。おれはここを見るとどういうわけかドキドキするんだよなあ。」と建築家の東郷さん。
「あら、ずいぶん雰囲気が変わったわね。」
「そうなんだ。後ろに猿楽塚の緑を残して、丸い階段、タイル張りの壁面と、デザインが大きく変化したんだ。当初の計画から10年ほどたって時代も変化した、槇さんの手法もどんどん変わっていくんだよ。」
「前のデザインにこだわらずに、時代とともに変化したということでしょうか。」
「そうなんだ。デザインの変化を見るのも面白いよ。前面道路の交通量も増えて、1期2期の壁面の汚れも気になってきたんだと思うよ。」
「これまでは直線ばかりだったのに、突然円が出てきました。建築家が代わったかと思うほど感じが違いますね。」
「槇さんは、わりあいデザインが一貫している人だと思うけど、このあたりはいろんな試みをしていたんじゃないかな。」
「デザインの変化を見るのも面白いですね。」
「これがデンマーク大使館。建物の壁に局面がでてきました。色も白ではなく、ピンク色になりました。」
「あら、あら、ずいぶん変わりましたね。」
「これは、ヒルサイドテラスの一部でもあるけど、別の建築でもある。朝倉不動産は、この土地を大使館に譲るにあたって、設計者は槇文彦と条件をつけたんだ。こうして街の連続性を守ろうとしたんだ。」
「これは、旧山手通りをはさんだ向かい側にできた第6期の建築だけど、ここになると、もうコンクリートは感じないだろ。主役はアルミになっているんだ。」
「あーら。ずいぶん変わりましたね。こんなにいろんなデザインがあったのは気がつきませんでした。」
「槇さんの設計手法が変わった。それだけ、日本の社会が変化したということかもしれませんね。」
「この第6期には、地下にスーパーマーケットもあるし、美術館もあるんだ。」
「槇さんの発案で始まったSDレビューという若い建築家のデザインコンクールも毎年ここで開かれて、ここから、建築界を引っ張って来た東孝光、安藤忠雄、隈研吾など多くの建築家が巣だっていったんだ。美術展や世界の一流演奏家を呼んでコンサートも行われているよ。」
「まるで、一つの都市みたいですね。建築もすごいけど、中身の活動がまたすごいものなんですね。」
「そうなんだ、ここから文化を発信していくんだという意気込みがすごい。」
「それって、外からフラッと来ただけでは、わかりませんね。」
「そうなんだ。自分から関わっていかないと、なにも見えない。」
「代官山って、そういう所だったんですね。なにも知りませんでした。」
「都市って、一般的には見えるものだけど、見えない部分もある。魅力的な都市が、見えない活動を引きつけ、支えている。ヒルサイドテラスは、そんなことを考えさせるね。」
「第6期の建築は一段と軽やかに、透明になっていますね。」
「そうだね。それが時代の空気なんだろうね。」
「ですが、一貫して近代建築、モダニズムと言っていいのかしら。」
「そうなんだ。槇さんは典型的なモダニズムの建築家だ。常に世界を見ている。丹下さんは日本の伝統的なデザインを取り入れて世界に挑戦したけど、槇さんは決して日本の伝統的意匠を使ったりはしない。モダニズムというかインターナショナル・スタイルからずれることはなかった。」
「インターナショナル・スタイルってなんですか?」
「鉄、コンクリート、ガラスなど近代的な材料を使って、さらに空調などの設備をすれば、世界中どこでも同じ建築ができると考えられたんだ。」
「気候や風土に関係なくですか?」
「そうなんだ。パリでもバグダッドでもシンガポールでも同じ建築が建つ。白くて、四角くて、直線を基本にしたデザインだ。」
「ちょっと過激な思想みたいですけど。」
「そうだね。20世紀にはそれが理想だと思われたんだ。」
「代官山にも若い人が増えてきたね。」
「しかし、ヒルサイドは決して若い人におもねるようなことはしないね。相変わらず看板はないし、店もこちらから探さないとわからない。毅然とした大人の街を守ろうとしているね。」
「ヒルサイドテラスはきれいだけど、やっぱり、私には敷居が高いわ。」
「わたしは、このカフェ・ミケランジェロが大好きなんです。」
「うん、代官山の一つの風景を作っているね。」
「ちょっと歩いたけど、やっと着いたね。ちょっと飛び地になるけど、これがヒルサイド・ウエストだ。」
「すいぶん、近代的な颯爽とした雰囲気ですね。」
「そうなんだ。すっかりアルミの皮膜で覆われている。とっても軽快なビルだ。」
「やはり、インターナショナル・スタイル。」
「ウエストの裏道に面したところがここだ。」
「ここで一番興味深いのは、ここに槇さんが設計事務所を移したことなんです。ということは、槇さんは代官山の都市と建築にこれからもずっと関わりますよ、という覚悟を意味しているからなんだ。」
「ヒルサイドテラスは建築家がリードして作られた都市という感じなんですね。」
「最後に昨年完成した蔦屋書店をみましょう。」
「私はここが大好きなんです。いつもは近所の蔦屋TSUTAYAを利用するんですが、時間があるときは、ここへ来るんです。映画でも、CDでも何でもここならあります。なにより、ゆっくりくつろげる雰囲気が最高なんです。」恵美ちゃんの言葉は熱を帯びている。「でも、建築としてはどうなんでしょうか?」
「建築はコンペで選ばれたTの字のファサードだけど、シンプルな箱が三つ並んでいる、極めて単純なものだね。」
「爽やかなアプローチだね。」
「すっきりした印象ですね。」
「設計したのはどんな建築家なんですか?」
「クライン ダイサム アーキテクツ」
「外人なんですか?」
「イタリア生まれのアストリッド・クラインさんとイギリス生まれのマーク・ダイサムの二人の事務所だ。二人とも伊東豊雄建築設計事務所に勤めていたんだ。独立して日本で事務所を開いた。」
「三つの建物の間をあけて露地のような広場のような空間を作っている。」
「悪くない空間になっているね。」
「建築の特徴を教えてください。」
「構造的なデザインではなく、グラフィックなデザインを得意としているようだね。女性のクラインさんがデザインを主導しているような印象があるなあ。」
「そうですね。軽やかなデザインです。難しいことを考える必要はありません。」
「入口も控えめで嫌みのない、自然なものだね。」
「とってもあっさりとした印象なんですけど。」
「そうだね。建築はファサードをTの字にすること、壁面にもTの字を並べること、その他に特に主張はしていないね。」
「それがオーナーの要求にマッチしていたわけだ。」
「TSUTAYAのオーナーというとどういう人なんですか。」
「それが、なかなか夢のある人物らしい。TSUTAYAというのは、全国に1400も店を構えている映画やCDのレンタルの店として有名だけど、それを運営しているのは、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)という会社なんだ。増田宗昭という人が創業社長。映画、音楽、本を一つの店で提供する便利で快適な店、これを一筋に追求してきたというのだ。」
「たしかに、その通りだと思います。」
「それが、ついに代官山に理想の店を作ったというわけだ。」
「建物の周辺の空間も贅沢ですね。」
「カフェやレストランもたくさんあるし、自転車屋、カメラ屋、おもちゃ屋とレベルの高いマニアックな店をそろえているね。」
「店の上に贅沢なレストランがあるんですけど、そこへ行きませんか?」
「よし、行ってみようじゃないか。」
「なんだか、図書館みたいなところだなあ。」
「暮しの手帖、平凡パンチ、domusか、年配の人の胸をくすぐるコレクションだなあ。」
「大きな皮のソファー、ゆったりとした配置、なかなか贅沢だなあ。バーカウンターまであるよ。ここでゆっくり時間をすごしたいなあ。」
「こんな店を作りたいという増田社長の強い夢があって、建築はその夢に器を提供したという感じだなあ。」
「ヒルサイド・テラスは強い建築家の理想があって、都市を牽引して行ったけど、ここは夢をもったオーナーがいて、そこに器を作った。」
「それと、ヒルサイド・テラスは文化を生み出して発信したけど、ここは文化を消費する快適な場所を作った。」
「しかし、これができたのは、ヒルサイドが育てた都市文化のベースがあったからだろうなあ。その上に咲いた花というべきかもしれない。」
「この蔦屋書店を見て、佐賀県の武雄市の市長さんがすっかり惚れ込んだという話を聞いたなあ。」
「そうなんです。市長の樋渡さんが蔦屋を見て惚れ込んでしまい、市の図書館の運営をTSUTAYAに任せると決めたんです。それが2013年の4月にオープンしました。図書館といっても雑誌を売ったり、スターバックスコーヒーが入っていたり、かなり異色らしい。Tカードで本を借りるたびにポイントがたまるそうです。」
「そこも見たいものですね。」
「図書館関係者からは批判の声が上がっているらしいけどね。」
コーヒーの最後の一口を飲み込むと、宮武先生が締めくくるように。「今日はヒルサイドテラスを中心に代官山を見直したわけだけど、恵美さんどうでしかか?」
「詳しく見て歩いて、ヒルサイドは市民に対して開いた建築を作ろうとしたことがよくわかりました。他にはない都市ができた、素晴らしい建築だと思いました。しかし、近代建築と市民という私のテーマからいうと、ちょっと気になることがあります。建築家がイメージした市民ていったいどんな人たちなんでしょうか。」
「実際にこの建築を維持してきた、ここに住んでいる人もいるし、テナントもいる。もちろん外からくるお客さんもいるんじゃないかな。」
「あの雰囲気を維持するために、かなり無理をしているような気がしました。」
「槙さんがここに事務所を移したのも、ここを維持するためには不断の努力が必要だということでしょうね。」
「でも、この蔦屋書店のお客さんを見ていると、ここの人たちはこの場所を単純に楽しんでいる。オーナーから見るとすべて客ですね。ここにくる市民は消費者なんですね。現代の都市で市民て誰のことかしらって考えちゃったんです。」
「じつは、先日あるパーティーで槇さんと同席したんだ。」と宮武先生。
「で、槇さんに蔦屋のことは槙先生はどうお考えですか?って聞いてみたんだ。」「槇さんはなんておっしゃったの?」と恵美ちゃんがたたみかけた。
「槇さんは、あれはコマーシャルのものだから…と言われたんだ。」
「それは、どういう意味なんですか?」
「それで、終わっちゃったんだけど、まあ、言外に建築としてまともに相手にするほどのものではない、という言葉を感じたなあ。」
「うーん。またまた難問だなあ。」東郷さんは頭を抱えてしまった。