国立西洋美術館とともに世界遺産に選定されたル・コルビュジエのカップマルタンの休暇小屋、世界遺産の中では、もちろん最小の建築である。これが偉大なモニュメントだというわけではない。
本物ではない。ものつくり大学の校内に建てられたレプリカである。
しかし、あなどってはいけない。じつによく出来ているのである。
ただし、このイラストの書いてある面は、実物にはない。ここは隣のレストランと密着している。親しくなったレストランの親爺に頼み込んで、増築の形で作ってしまったからだ。
ものつくり大学では、2010年に「学長プロジェクト:大学を元気にする企画募集」があり、そこに有志で「世界を変えたモノに学ぶ/原寸プロジェクト実行委員会」をたちあげて応募し採用されたものである。
2011年に学生10名とともに実測調査を行い、2011、2012年の2年間の卒業制作として取り組んだという。
もとにしたのは、発表されている図面ではなく、あくまで現物を詳細に実測して図面を起こしてそれに基づいて制作したのだという。
作業は、設計、確認申請、施工、と本格的な建築として作られた。
しかも、ネジ1本から建具金物、照明、家具まで、すべてほんものと同じものを目指したという。
一見ログハウスに見えるが、実は丸太から角材を取った残りの廃材を合板の外側に貼付けたものである。
ここの学生は技能コンクールで金賞をとる技術を持っているので、工作は高いレベルでできている。
実行委員会は、建設・製造両学科の共同作業となっているので、日本にない金物ネジ1本から忠実に再現されている。
このため、ル・コルビュジエ財団から正式に「レプリカ」として認定されたそうである。
3月25日に大学のオープン・キャンパスがあり、この小屋も公開されたので、見学させてもらった。
入口正面のハンガー
入口左側の壁に描かれた壁画
狭い入口を入る
左が壁画、右がハンガー
壁画の右下にル・コルビュジエのサインがある。1956年7月31日のサインだから小屋ができて4年後に壁画を描いたことになる。
入口のすぐ右に小さなトイレ。そしてその右にソファー。
入口の左を見ると、小さな窓、作業机がある。
8畳ほどの広さにベッド、作業机など、全てが納まっている。
もともと、南仏出身の妻イヴォンヌのために、南仏の保養地コート・ダジュールにほど近い片田舎カップマルタンに小さな休暇小屋を作ることにした。
コルビュジエ64歳、油の乗り切った巨匠にしては、なんともささやかなものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%AF%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%8C%EF%BC%9D%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97%EF%BC%9D%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3
床は黄色、天井は白、緑、赤、残りは合板のまま。
小さな窓からは目の前の地中海。
トイレはカーテンの向こうの便器のみ、風呂はない。外にシャワーがあるだけ。キッチンはない。食事は隣の食堂を利用する。
ル・コルビュジエは大層気に入っていたようだが、妻イヴォンヌが気に入ったとは到底思えない。
実物はクリやオーク材が使われているが、ここではタモが使われたという。
ル・コルビュジエは、パリでは、自分の設計したポルト・モリトーの集合住宅の最上階をアトリエ兼用の住宅として生涯の住まいとしたが、南仏出身の妻イヴォンヌは息苦しくてたまらなかったらしい。
そこで、妻のために休暇小屋を作ったというが、イヴォンヌにとっては、これでは少しも楽しくなかったにちがいない。
世界的な巨匠となったが、コルビュジエが、自分のために作ったのは、これが最初で最後である。
世の建築家で奥さまからまったく認めてもらえない人は少なくないが、コルビュジエにしてこれだから、他は押してしるべし。どうやら近代建築は男性原理で突っ走ってきたような気がするがどうだろうか。
家具も大変よく出来ている。
南仏のまぶしい光の中から、この小屋へ入ると、洞窟の中に入ったような暗さだという。たしかに窓は小さい。
イヴォンヌが亡くなったあとも、コルビュジエはここで暮らすことを楽しみ、小屋が出来て、13年後、ここから日課にしていた海水浴に行ったまま帰らなかった。
77歳であった。
中央に洗面台が見えるが、学生たちはこれも実物とそっくりに再現した。下に見えるのが金属の洗面器をたたき出しで作るための木製の型。
レプリカのために水道の蛇口や配水管がないが、洗面器は実物のとおりに再現されている。この洗面器を作った学生はこれを作るために1年留年してしまったという。
天井裏が物置になっているのがわかる。
南側に縦長と正方形の二つの窓があるが、これが地中海に面している。
小屋の隣に作業小屋がある。本格的な設計の作業はここで行われていたらしい。
それにしても小さな小屋だ。
ル・コルビュジエと妻イヴォンヌのための墓。生前にコルビュジエは墓を用意していた。ここで死を迎えることを想定していたらしい。現実にコルビュジエはこの小屋の前の海で水泳中に水死した。
ル・コルビュジエが残した最小限の空間。しかし、ここで生活ができるわけではない。住宅とは言いがたい、あくまで小屋である。利休が追求した茶室に近いものかもしれない。
このプロジェクトを推進してきた八代克彦先生によれば、この次は、ル・コルビュジエがレマン湖畔に作った両親のための家を再現する予定で、すでに基礎のコンクリートの打設を終えていた。これも楽しみだ。